第96回 “辞書いらず” フランス語 /「テーマ別」ラ・ロシュフコー箴言集 「善と悪」(3)

第96回 “辞書いらず”フランス語 /「テーマ別」ラ・ロシュフコー箴言集 「善と悪」(3)

 皆様こんにちは、本日も当ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 今回は「テーマ別」箴言シリーズ「善と悪」の続きをご紹介します。箴言番号は284、301、338です。他の箴言にも深みがあるのは言うまでもありませんが、今回の箴言は特に深みのあるものです。フランス語の文法学習の面でも多くの学び(条件法など)があるだけでなく、「生きる知恵」の学びも同時に深めることができます。それでは、お楽しみください。

<引用はじめ>

(284)Il y a des méchants qui seraient moins dangereux s’ils n’avaient aucune bonté.

◎意地悪な人々の中には、もし彼らが善良さのかけらも持っていなければ、それほど危険ではないであろう人々がいる。

(訳注)
・bonté:善良さ、親切心、(複数形で)親切な行為
・seraient:êtreの条件法現在形。従節(si~)の直説法半過去形とセットで、「現在の事実に反する仮定」を表す時に用いられます。フランス語の文法理解のために、敢えて直訳しますと次のようになります。

「もし、善良さのかけらも持っていないなら、危険さの度合いが小さかったであろう意地悪な人々がいる。」

更にひも解きますと、「善良さのかけらも持っていない」というのは、「現在の事実」に反します。つまり、「危険な人々であっても、少しばかりの善良さ」は持ち合わせているもの。だからこそ、「危険さの度合いが小さかったであろう」、つまり、「善良さを持ち合わせていたがために、より危険の度合いが大きくなってしまう」という皮肉です。

➡この箴言は、極めて奥深いものがあります。思考が一旦停止し、目を閉じさせ、深い思索を促してくれます。「善意」を旗印にして、戦争などにおいて様々な残虐行為や粛清が繰り広げられたことなどがその例ではないでしょうか。

 つまり、「いくばくかの善良さをもっている」からこそ、危険ということもある訳ですね。「善良さゆえの危険」、非常に深く考えさせられる箴言だと思います。

(301)Assez de gens méprisent le bien, mais peu savent le donner.

◎かなりの人々が善を軽蔑する。しかし、善を与えることができる人は少ない。

(訳注)
・assez:十分に、かなり、ずいぶん、(程度を弱めて)まあまあ、どちらかといえば。assez de~無冠詞名詞「十分の~、かなりの~」
・bien:①善、善行 ②利益、幸福、よいこと ③財産、(経済)財、地所。le bienを善と訳すか、財産と訳すかは、文脈がないので自由だと思います。(実際、le bienを「金」と訳される方もいらっしゃいます。) ただ、「かなりの人が善を軽蔑する」というのは、ちょっと想定しづらいのですが、仮にle bienを「財産」と訳すと、「かなりの人が財産を軽蔑する」となってしまいますので、 「善を軽蔑する」よりももっと不自然かと思います。一方、テーマ分類者のJean-Marie André氏によれば、この箴言(301)は「善と悪」というテーマに分類されていることもありますので、ここではle bienを「善」と訳しています。
・savent savoirは、知っている、〜することができる。

➡「善を与える」とは、どういう意味なのでしょうか。ロシュフコーはどのようなことを想定していたのでしょう。宗教的な「施し」でしょうか?それとも、「一日一善」「人に親切にする」というような、人々との交わりを円滑にする昔ながらの知恵でしょうか。想像をかきたてられる箴言です。

(338) Lorsque notre haine est trop vive, elle nous met au-dessous de ceux que nous haïssons.

◎我々の憎しみが余りにも激しい場合には、我々は、その憎しみの対象者よりも劣る状態へと追いやられる。

➡「それ(=憎しみ)は、我々を、我々の憎しみの対象者に対して卑屈にさせる。」と訳しました。

(訳注)
・Lorsque:①~の時に、その時 ②(対立を表して)~なのに
・haine :憎悪、嫌悪、怨念
・vive:形容詞vifの女性形。女性名詞であるhaineを受けている。Vif=①生き生きした、活発な ②激しい、熱烈な、激しい、強烈な ③生きている ④むき出しの ⑤鋭い
・met:mettreの三人称単数形
・au dessous de~:~の下に
・haïssons:haïrの一人称複数現在形。

➡この箴言は、フランス語の文法の面からはシンプルですが、単語の解釈がやや難しいですね。文法理解のために直訳しますと、次のようになります。

「我々の憎しみが余りにも激しい場合には、その憎しみは、我々を、我々が憎む人々の下に配置する。」

 この直訳に基づけば、箴言338は、「我々が、憎しみの対象者から”上から目線”で見下されている」というようにも解釈できると思います。確かに、相手に憎しみを感じていなければ、自分がその憎しみの相手に従属させられている(=下に配置されている)と感じることはないでしょう。

 「憎しみを抱かずに、寛容であれ、なぜなら、憎しみによって、結果的にその憎しみの対象者よりも劣る存在になってしまう」という、ストイックなメッセージが込められているのかもしれません。正に、「言うは易く行うは難し」です。

<引用おわり>

 いかがでしたでしょうか。箴言301はle bienを「善」と訳すか「財産」と訳すかで移意味が大きく変わってきますので置くとして、箴言284と338は、何とも奥深いものだとあらためて思います。白黒つけがたいと言いますか、一読後に沈思黙考を強いられます。

 本日もお読みいただき、ありがとうございました。

コメントする

CAPTCHA