第103回 “辞書いらず” フランス語 /「テーマ別」ラ・ロシュフコー箴言集 「その他の箴言」(3)

第103回“辞書いらず”フランス語 /「テーマ別」ラ・ロシュフコー箴言集 「その他の箴言」(3)

 皆様こんにちは、今回も当ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 今回は、「テーマ別」箴言シリーズ「その他」の続きをご紹介します。箴言番号は251、294、347、356、375です。

 今までラ・ロシュフコーの箴言を沢山紹介して参りましたが、Jean-Marie André氏による「テーマ別」分類に基づく箴言の紹介は、今回が最後となります。それでは、お楽しみください。

<引用はじめ>

(251)Il y des personnes à qui les défauts siéent bien, et d’autres qui sont disgraciées avec leur bonnes qualités.

◎欠点があっても然るべき地位にいる人もいれば、欠点がなく長所があるのに評価されない人もいる。

(訳注)
・à qui les défauts siéent:Seoir①開廷する、位置する②(非人称構文で)ふさわしいcomme il sied「適当に」(古い表現で)à〜にふさわしい。bien seoir「良く位置する」→「然るべき地位にいる」と訳しました。
・disgraciées :失寵した、(肉体的に)恵まれない、醜い→欠点がないのに(長所があるのに)「地位に恵まれない」→「評価されない」と訳しました。
・qualités:質、品質、長所

➡後述の箴言(347)(356)にも共通しますが、「人は好みで人を評価する」ということは、300年以上前も同様だったのですね。

(294)Nous aimons toujours ceux que(➡qui) nous admirons et nous n’aimons pas toujours ceux que nous admirons.

◎我々はいつも、自分を崇拝してくれる人物を愛する。一方、我々は、必ずしも自分たちが崇拝する人物を愛する訳ではない。

(訳注)
・pas toujours :toujours「いつも」「相変わらず」は、否定文の場合はtoujoursの位置で文意が変わります。例)①Il n’est pas toujours content「彼はいつも満足している訳ではない」②Il n’est toujours pas content「彼は相変わらず満足していない。」

➡本文中にqueが二回出てきますが、最初のqueはquiの間違いです。「テーマ別」分類を実施されたJean-Marie André氏の文章ではqueとなっていましたが、書籍(GF FLAMMARION)ではquiとなっていました。

 もし、最初のquiをqueと誤解して和訳しようとすると、次のようにとんでもないことになります。「我々はいつも、自分が崇拝する人物を愛する。そして、我々は必ずしも自分が崇拝する人物を愛する訳ではない。」

 つまり、文章の前半と後半が真正面から衝突して矛盾します。図らずも、「関係代名詞」que(目的格)とqui(主格)の基本的な理解の良い材料だと思います。

(347)Nous ne trouvons guère de gens de bon sens, que ceux qui sont de notre avis.

◎我々は良識ある人々を見出すことなどちっともできない。ただ単に、我々と同じ意見の人々を見出せるだけである。

(訳注)
・sens:①感覚 ②センス・勘・~感 ③良識・分別(bon sens) ④常識的判断力(sens commun⑤(複数形で、文学的表現で)官能・肉欲 ⑥(物の)見方・観点 ⑦意味 ⑧意義・存在理由 ⑨方向・向き ⑩(活動などの)方向・方針
・de notre avis:être d’avis de~~すべきだと思う、~するほうが良いと考える。

➡前述の箴言(251)「人は好みで人を評価する」ということの言い換えですね。「良識」)(Bon sens)という言葉を、「好み」や「こころ」と置き換えて読むと面白いです。

(356)Nous ne louons de bon cœur que ceux qui nous admirent.

◎我々が心から称賛する対象者は、我々のことを崇拝してくれる人々だけである。

(訳注)
・louons < louer:①賃貸しする ②賃借りする ③称賛する 
・de bon cœur:喜んで、心から

➡️前述の箴言(251)で触れましたが、昔も今も、人は好き嫌いで人を判断する、ということですね。そう考えると、「職場の上司・同僚」との良好な関係を維持することは、非常に大切ですね。人と一緒に働くことのメリットだけでなく、リスクやデメリットについても考えさせてくれる箴言です。

(375)Les esprits médiocres condamnent d’ordinaire tout ce qui passe leur portée.

◎平凡な知性は、通常、自らの理解が及ばない全ての物事を断罪する。

(訳注)
・esprit(s) エスプリ、知性
・médiocre(s) 平凡な、つまらない、へたな、無能な、並以下の
・condamnent :断罪する
・d’ordinaire :普通は、
・passe leur portée:手の届く範囲を超える?porter:①射程距離、届く範囲②理解の及ぶ範囲、知力、知的水準③影響力、重要性

➡️耳の痛い話です。古くは天動説を否定し地動説を唱えたコペルニクスが「断罪」された例があります。最近では、このようなことは枚挙にいとまがありませんね。先見の明を持つ有能な人が「断罪」されるのは良くあることです。

<引用おわり>

  いかがでしたでしょうか。人が人を評価するのが「好み」に基づくのであるとすれば、「理性的」「客観的」評価とはいったい何なんだろう、と不思議な気持ちになります。
 
 さて、本ブログでは、「生きる知恵」の宝庫としての、フランス語による各種名文(詩・小説、随筆、断想/箴言、新聞記事など)を紹介して参りました。
 
 後半部分では特に、ラ・ロシュフコーの箴言を沢山紹介して参りましたが、Jean-Marie André氏による「テーマ別」分類に基づく箴言の紹介は、今回が最後となります。今までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

 毎日少しずつ積み上げて参りますと、ちょっと大げさですが、「千里の道も一歩から」のような達成感があります。

 ほんのわずかでありましても、「生きる知恵」と「フランス語」の学習を同時に進められたと感じていただけるようでしたら、それはわたくしにとってこの上ない喜びです。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。そしてまた、引き続きよろしくお願いたします。

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