第6回 Baudelaire (ボードレール)

第6回 Baudelaire

皆様こんにちは、ぱすてーるです。世の中に沢山あるブログの中から、本日も私のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

第2回ブログでは、高校時代の現代文の教科書に載っていたパスカルの断想を紹介させていただきました。今回は、同じ教科書の別の部分に掲載されていた、ボードレールの詩の一部を紹介します。日本の文壇にも著しい影響(※)を与えた、彼の詩集『悪の華』からの引用です。形式(ソネット)・内容ともに、正に「王道」と呼ぶにふさわしいものです。本当に素晴らしく、最後の一文など、ため息さえ出てきます。

(※)今日の世界の抒情詩は、彼の影響を抜きには語れないほどであり、彼に続くヴェルレーヌやランボーなどの有名な詩人も大きな影響を受けています。日本への影響として、翻訳では上田敏や永井荷風がボードレールや象徴派の詩を訳して紹介しています。日本語の詩の面では、北原白秋や萩原朔太郎など近代詩人たちへ影響を与えました。

実はこの詩は、現代文の教科書で、伊藤整(小説家・詩人・評論家。1905年~1969年)の評論『青春について』の中で引用されていたものです。高校時代の当時は、「ボードレール」のことなど知らず読み流しており、パスカルの断想に比べれば印象は薄かったように思います。

まずは、格調高い永井荷風の翻訳文の冒頭4行から引用します。全14行のソネット(ルネサンス期のイタリアで創始されたヨーロッパの定型詩。4行連+4行連+3行連+3行連)の最初の4行連です。そして、全ての行が12音節(いわゆるアレクサンドランalexandrin、6音節ずつ2等分されるのが一般的)から構成されています。単純計算ですが、168音節(12音節/行 x 14行)で表現される世界は、日本の和歌の31音(57577)で表現される世界よりも、多くのイメージやドラマを盛り込み易いと感じます。

<引用はじめ>

『           = 敵 =

 わが青春は ただそこここに照日(てるひ)の光 流れたる

  暴風雨(あらし)の闇に過ぎざりき。

  鳴る雷(いかづち)の すさまじさ 降る雨の はげしさに、

  わが庭に落ち残る 紅の果実とても 稀なりき 』 

<引用おわり>

荷風の翻訳は、格調高い文語調で素晴らしいのですが、分かり辛い面もあると思います。そのため、もう少しくだけた感じに訳してみます。

<引用はじめ>

『                    = 敵 =

   私の青春は、闇深い嵐のようなものに過ぎなかった。

 時々日が差すことはあったけれど、

 激しい雷鳴と強い雨のせいで、ずたずたになってしまった。

 そのため、私の庭には、鮮やかな朱色の鮮やかな果物など、

 ほとんど残らなかった。』

<引用おわり>

次に、上記の翻訳文に対応するフランス語の原文を紹介します。

<引用はじめ>(引用文に◎を付し、適宜注も付します)

   LENNEMI (敵)

 Ma jeunesse(青春期、若狭さ) ne fut(注1) qu’un ténébreux(暗闇の) orage(嵐・暴風雨),

注1)fut: être(英語のbe動詞)の(直説法)単純過去。単純過去は、「書き言葉」です。「話し言葉」(日常会話)ではほとんど使用しませんが、詩・小説・新聞などやや格調高い文章には出てきます。ne~queは、neとqueで挟まれた「~」の部分を「~に過ぎない」と表現するための語法。第2回ブログで紹介したパスカルのパンセ断想347「L’homme n’est qu’un roseau」注19も参照ください。

 Traversé(注2) ça et là(注3) par de brillants(輝く、光る、華々しい) soleils(太陽);

注2)Traverséeにはなっていないことにご注意ください。jeunesseは女性名詞ですが、形容詞Traverséには女性名詞を修飾するためのeが付いていません。よってこのTraversé(横断する、横切る、ある時期を経る、を意味するTraverserが形容詞化したもの)が修飾しているのは男性名詞、つまりorage(嵐、暴風雨)であることが分かります。注3)ça et là:あちこちに

 La tonnerre(雷鳴) et la pluie(雨) ont fait(注4) un tel ravage(大損害、災禍、略奪、荒廃),

注4)faireの複合過去。ontはavoir(英have)のils(三人称複数)に対応した変化形。直前のtonnerreとpluieの二つの名詞を受けている。

Qu(注5)il reste(注6) en mon jardin(注7) bien peu de(注8) fruits(果実) vermeils(朱色の).

注5)結果を表す。例:La salle était surchauffée que je me sentais mal (部屋の暖房が効きすぎて、私は気持ち悪かった。=au point que)

注6)非人称構文。Il reste + 名詞~ ~が残っている。注7)en~の中に。En mon jardin私の庭の中に 注8)peu de あまり~ない。un peu de少しの~

<引用おわり>

いかがでしたでしょうか。最初の4行連だけでも鬼気迫るものがあります。続いて、残り10行の中から、紙面の関係上、最も印象的な最後の3行連を引用させていただきます。全編の解説は、別の機会に譲らせてください。

<引用はじめ>(引用文に◎を付し、注と訳文を添えます。)

Ô douleur !(苦悩・苦痛・痛み) ô douleur! Le Temps mange la vie(注9).

何たる苦悩!時が命をむしばむのだ。

 Et l’obscur(陰気な) Ennemi(敵) qui nous ronge(蝕む、さいなむ、苦しめる) le cœur

そして陰鬱な「時」という敵が、我々の心臓を蝕み、

Du sang(血) que nous perdons(失う) croît(増長する) et se fortifie(注10)(強固になる)!

 我々から血を吸い取り、ますます増長し、そして強固になっていくのだ!

注9)「時が命をむしばむ」この詩のクライマックスと思える表現。

注10)fortifier「強くする」の代名動詞。直前のcroîtと共に、Ennemiを受けている。

<引用おわり>

いかがでしたでしょうか。近代詩の先駆け、ボードレールの痛切な叫び(Ô douleur ! ô douleur! Le Temps mange la vie 何たる苦悩!時が命をむしばむのだ)には、魔力とでも言えば良いのでしょうか、抗しがたい魅力があります。学生時代であれば、この悲痛な叫びに共感し、浸っているだけでも済まされた思います。

ですが、社会人ともなれば、そんな感傷に浸ってばかりもいられません。構成、音(響き)、そして内容の3点に優れる美しい詩から得られる「生きる知恵」は、「限りある時間と命を大切にしなければならない」ということだと思います。少なくとも私は、この詩を読む度に、そのような気持ちを新たにしています。「時が命をむしばむ」というのは残酷な現実ですが、そうではありましても、その現実を14行の美しい詩に整理されてしまうと、不思議とカタルシス(精神の浄化)さえ感じてしまいます。これは、第1回ブログで引用させていただいた古今集の序文 (「花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。」)にも通じる感覚なのかもしれません。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

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