第62回 ジャック・プレヴェール Le Cancre(劣等生)

第62回 ジャック・プレヴェール Jacques Prévert “Le Cancre”(劣等生 / 詩集“Paroles”より)

 皆様こんにちは、本日もお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 今回はジャック・プレヴェールのLe Cancres(劣等生)。トリュフォーの『大人はわかってくれない』(Les Quatre Cents Coups)を思い出させるような詩です。

 文法的には非常にシンプルな短文が、4コマ漫画のコメントのように淡々と続く詩ですから、肩の力を抜いて、自由に、どなたでも楽しめる詩です。最後の一語「bonheur」(幸福)から、豊かで実りの多い想像を膨らますことができます。

1)引用:
<引用はじめ>

Le Cancres(劣等生)

1) Il dit non avec la tête,

◎彼は頭を振ってNonと言う。

2) Mais il dit oui avec le cœur.

◎でも心の中ではOuiと言っているのだ。

3) Il dit oui à ceux qui l’aiment.

◎彼は、彼を愛する人々に対してOuiと言う。

4) Il dit non au professeur,

◎彼は先生に対してはNonと言う。

5) Il est debout,

◎彼は立つ。

6) On le questionne

◎先生は彼に質問する。

7) Et tous les problèmes sont posés

◎そしありとあらゆる問題が出される。

8) Soudain le fou rire le prend

◎突然、くすくす笑いが彼をとらえる。

(訳注)
・fou rire:抑えようとしてもこみあげてくる笑い(fou:気の狂った、気違いじみた、大変な)

9) Et il efface tout,

◎そして彼は(黒板に書いた自分の解答の)全てを消すのだ。

(訳注)
・effafer:消す、忘れ去る、消し去る

10) Les chiffres et les mots,

◎数字や言葉の全てを。

11) Les dates et les noms,

◎日付や名前の全てを。

12) Les phrases et les pièges

◎言い回しや応用問題の全てを。

(訳注)
・pièges:わな、策略、(試験などの)落とし穴

13) Et malgré les menaces du maître,

◎そして彼は、先生からの脅しにもめげずに、

(訳注)
・menaces:脅し、脅迫、脅威
・maître:先生、買主、支配者

14) Sous les huées des enfants prodiges,

◎神童たちの「やじ」にさらされつつも、

(訳注)
・huées :やじ
・prodiges:奇跡、脅威、非凡な人、けたはずれな人 →「enfant prodige」神童(2語とも名詞で同格)。ここでは、Le Cancres(劣等生)に対比させている。

15) Avec les craies de toutes les couleurs,

◎あらゆる色のチョークを使いながら、

(訳注)
・craie:チョーク、白墨

16) Sur le tableau noir du malheur,

◎不幸の黒板の上に、

17) Il dessine le visage du bonheur.

◎幸福の様相(顔・姿)を描くのです。

(訳注)
・visage:顔、顔つき、顔色、人、相貌、様相、姿

<引用おわり>

2)解釈:

 最後の2行(16・17行目)が本当に素敵で、印象に残ります。一番好きなフランス語「bonheur」で終わっています。(bon=good、heur→heure=time、つまり「良い時間」こそが幸せそのものということ。語源学的な、正確な詰めはしていないのですが。)

 最後に描かれたvisage du bonheur (幸福の様相)とは、いったいどのようなものだったのでしょう?想像が膨らみます。

 文字ずらだけを読むと、「彼」(詩の主人公)は「愛する人々に対してはOuiと言う」とあり、「先生に対して心のなかではOuiと言う」とあるので、本当は先生のことが好きなのでしょう。

 でも、最初の一文で「彼は頭を振って(先生に)Nonと言う」とありますから、全面的には先生を好きになれなかったのでしょう。先生の愛情不足もあったのでしょうか。

 この辺りの事情は、次の7~9行目に原因が隠れていそうです。「あらゆる問題が提示される。突然、fou rire(抑えようとしても抑えられない笑い、くすくす笑い、嘲笑)が彼をとらえる。そして彼は(黒板に書いた自分の)解答を全て消すのだ。」

 つまり、恐らく、彼が「間違えた答え」を黒板に書くと、途端に教室から「どっ」と笑いが起きたのでしょう。当然、彼はそれを嘲笑と感じ、先生に対して複雑な思いを抱かないはずはありません。授業での不正解を、人格的な嘲笑の対象にするのはいけませんね。

3)教訓:

 17行目の「tableau noir du malheur」(不幸の黒板)を、「この世の中で従うことが求められるルールや正解」のアナロジー(類推)と考えれることはできないでしょうか。

 そう考えれば、10~12行目の「数字や言葉、日付や名前、言い回しや応用問題などの全て」は、不幸の象徴と考えることもできます。彼が黒板に書いたこれらの「解答」は、「先生が求めていた正解」とは違っていたのでしょう。

 すると、「これら全てを消し去り」(il efface tout)、彼が描いた「visage du bonheur」(幸福の様相/18行目)とは、次のように解釈できるのではないでそうか。

 つまり、「この世で従うことが求めらあれるルールや正解」に従っていたとしても、それで幸福になれる訳ではない。それらを全て消し去る(efface tout)ことによって、visage du bonheurを描くことができるのだ、という教訓も得られるのではないか、と思うのです。

 もちろん、「この世で従うことが求めらあれるルールや正解」の全てを否定するつもりはありません。そこは、詩人の感性とレトリックと理解する必要があると思います。

 でも、この、「詩人の感性とレトリック」から、わずかでも教訓を得ることができると思います。必ずしも「目の前の現実」だけに幸福がある訳ではないのだ、という教訓です。現実逃避をするという意味ではなく、「現実に囚われ過ぎずに視点を変える」という教訓です。

以上は全て、「辞書や文法を逸脱しない範囲での」私の自由な解釈です。皆様はどのような印象を持たれたでしょうか。「辞書や文法を逸脱しない範囲で」という言う意味では、最低限の「論理」は尊重しているつもりです。でも、そこから先は、「論理」ではなく「感性」の出番だと思います。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

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