第26回 過去の自分へのアドバイス 

第26回 過去の自分へのアドバイス ~ 事業の言語・生きる知恵の言語~

皆様こんにちは、ぱすてーるです。今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 今回は、僕自身の反省に基づき、社会人1年目の頃の自分へアドバイスをするつもりで、ブログを書いてみたいと思います。ポイントは次の3点です。

①会社で学ぶべき言語はまず「数字」(日本語は大前提)。

②次に「法律」。

③語学はその次。

順番に触れたいと思います。

1)「会社」で学ぶべき言語は「数字」(会計数値):

 どのような業界に就職するにせよ、最優先すべきは「数字」(会計数値)です。研修で「簿記」を習う方も多いと思いますが、その「数字」です。「フランス語上達のためのブログの中で、会計数字のことを語るのか?」と不思議の思われる方もいると思います。少し解説します。

 僕は「簿記」が本当に苦手でした。というか、忌み嫌い、逃げていました。就職活動をしていた頃は、「なんとなく」「専攻語のフランス語を使えさえすればよい」と考えていました。

 周囲からも、「語学は手段に過ぎない」というアドバイスがしばしばありました。でも、そこは「ほれた」フランス語を就職活動の軸に据えていた僕です。「語学は手段、なんて言われるけど、こんなに美しく、生きる知恵の宝庫であるフランス語が”手段”に過ぎないなんて、少なくとも自分にとってはあり得ない!」などとかたくなに考えていました。若気の至りです。

 晴れて念願の部署に配属された後は、フランス語や英語を使った海外取引を楽しんでいました。輸出契約、L/C(Letter of Credit)入手、発注と船積手配、輸出貨物の倉庫搬入と船積(or空輸)実施、船積書類の銀行買取と入金。これら一連の作業プロセスが、売上・仕入などの会計プロセスとして会社の帳簿に反映している、という実感は全くありませんでした。

 と言うより、それらからは目を背け、お客様との電話・fax・メール交信により、モノが動いて相手に届く、というプロセス自体を、子供のように素朴に、要は若気の至りで幼稚に楽しんでいました。

 売上計上や仕入計上などの会計プロセスには目を伏せて、逃げていたと思います。更には、敵意さえ抱いていたように記憶します。なぜでしょうか。

 それは、一生懸命交渉して、ようやく商談を成立させ、船積実施に至ったのに、それが単純な会計仕訳(売掛金/売上)で表されるなんて許せない!という勝手な論理です。会社の帳簿を背景に資金調達できているおかげで、一連の貿易取引が実施できているという事実には全く気付いていませんでした。

 実際、会計計上作業は事務の方に任せっきりでした。日商簿記3級試験も嫌で嫌で仕方なく、「そんなものは日々の業務に全く関係ないのに!」と思っていました。そんな姿勢ですから、当然落ちました。(もっともその後、無事2級を取得しています)。仲の良い同期入社で語学系の学部卒の仲間も、同様に3級試験に落第していました(笑)。

その後、色々とトラブルにも見舞われ、フランス語を離れて社会人大学院で経済学や法律を学ぶ過程で、或る会計の本の中に「会計は事業の言語」という表現に遭遇し、はっとさせられました。
 
 「語学」(フランス語)に対する強い思い入れで過ごしてきた最初の社会人10年間を振り返りつつ、「自分は事業の共通語である会計数字からは逃げていたなー」と反省しながら。

 「別に反省しなくても良いのでは?」と思われる方もいると思います。「好きなことを徹底してやれば良いのでは?」というのも確かにその通りだと思います。

 でも、この考え方(=自分自身が取りつかれていた考え方)は、少なくとも「会社」という組織に属することを決めた人間が取るべき考え方では無い、と今では思います。なぜでしょうか。

 それは、「会社とはなにか」という深い問いにも関わります。「会社」の定義については色々ありますが、僕の考えは次の通りです。

 すなわち、会社とは、「株主から出資を受けて、収益を獲得し、その一部を配当という形で株主へ還元するための機関」です。この「収益」を把握するためには、「会計数字」は必須となります。

 もちろん、「会社」という組織に属さずに、つまり就職せずにフリーランスで仕事をする方(自営業・通訳など)もいると思います。その場合でも、「数字」に対する姿勢は大切だと思います。事業収益を税務当局に申告(青色申告)する場合には、決算書の作成が必要になるからです。そして、この決算書は、日々の取引仕訳の蓄積、つまり「簿記」のルールで成り立つからです。

  なお、「数字」と一口に言っても、決算書を「読む」のか「作る」のかによって、その 難易度は全く違います。既にご存じの方に対しましては大変僭越ですが、決算書を「読む」のは「作る」よりも遙かに簡単です。

 早ければ1年、長くても集中して数年も取り組めば、読み解くのは難しくありません。「収益性」「安全性」「効率性」「キャッシュフロー計算書の構成」など、単なる割り算や掛け算の世界ですので、慣れてしまえば簡単です。

 自社も含め複数の企業の業績を比較する切り口として非常に役立ち、面白いです。ついでに株式投資にも役立ちます(ただし、私は個別株よりもインデックス好みです)。

 一方、決算書を「作る」のは大変です。上場企業の場合は4半期ごとに短信と有価証券報告書を作る必要があります(ここにも金融商品取引法という「法律」が関わります。)

 会計ルールへの準拠、計上の裏付けとなる契約や事象を証明する証憑の有無、それらを踏まえて4半期毎にCPA(公認会計士)にほぼリアルタイムで監督されながら、限られた時間で作業をこなさなければなりません。これは正直、非常に大変です。

2)次に学ぶべきは基本的な法律:

 就職して働くということは、会社と雇用関係に入るということです。雇用者が守るべき「法律」を知ることにおり、自分が「法律」に守られることになります。最近の例で言いますと、「働き方改革」などが身近な例だと思います。

 また、近い将来、自宅マンションなどの不動産を購入する場合に、登記簿謄本を読めないことは大きなリスクです(=販売側の不動産屋やデベロッパーの言うなりになってしまう)。新築物件の場合は、自分が最初の所有者になるので、法的問題よりもコスト面での問題の方が大きいことが多いと思います。

 ところが中古物件の場合は、旧所有者や抵当権者(銀行など)の存在を抜きには購入の是非を判断できないため、登記簿謄本の取得と解読は不可欠です。知らないと致命的です。

 登記簿謄本は、昔は法務局に行くか、郵送でしか取得できませんでしたが、今ではネットで瞬時に、しかもワンコイン程度で安く買うことができます。詳しくは、ネットで「登記情報提供サービス」を検索してみていただければと思います。

3)語学は、1)2)の次:

 語学は、英語も含めて上記1)2)の次で良いと思います。ついでに申し上げれば、語学と言う場合、英語の前に日本語できちんと文章を書けることが大切と思います。社内外とのメール交信、出張レポート、審議意見書、経営宛て報告書など、日々の業務においては、何といっても「日本語」の基礎力が不可欠です。「目的を達成するための」「分かり易い文章」を簡潔に書く基礎力。言うは易く、なのですけれど。

 私自身もそうでしたが、最初から海外営業部門に配属されてしまうと、日々のメール交信が海外との英語による通信文が中心になってしまいがちです。その場合は、我慢が必要ですが、「数字」「法律」「日本語」のブラッシュアップを意識する必要があると思います。

 以上、「数字」「法律」「日本語」という「三種の神器」を揃えた上で、あるいはそれらと並行して、英語やフランス語、中国語などの語学を学ぶのが良いと思います。

「三種の神器」と並行して外国語を学ぶことを否定してはおりません。ただ、自分の反省に立てば、「数字」「法律」「日本語」のどれか一つでも「無視」した状態のまま、他の言語を学ぶのは避けるべきと強く思う次第です。

 数字や法律の勉強を一生する訳ではありません。ちょっとの我慢で直ぐに慣れます。慣れた後には、1)2)には少々「飽き」さえ感じられるかもしれません。

 そして、自分を振り返る時間、遠巻きに自分を客観視する時間が増えてくることもあると思います。そんな時には、やはり語学を通じた「古典的教養」に立ち戻る意味と価値が増すのでは、と思います。

 なぜなら、経験から申し上げれば、1)の数字や2)の法律だけでは、時として襲われる様々な精神的・物理的危機への対応はできず(私にとっての近親者の死が正にそうでした)、幅広い教養を身に着けることには限界があると思うからです。

 いわゆる「Artes Liberales」(Liberal Arts/自由学芸:学ぶことそれ自体が目的となる学問)が必要と言われる所以ですね。「リベラル・アーツ」に関しましては、追ってまた触れる機会を持たせていただければと考えています。そうは申しましても、「頭でっかち」にならないよう注意しますので、ご安心ください。

 今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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