第44回 テーマ別(4)ラ・ロシュフコー箴言集より
皆様こんにちは、ぱすてーるです。今回もお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
今回は第42回の「テーマ別」(3)の続きで、「La vanité」(虚栄)に関する残りの箴言8個をお届けします。箴言番号は134、135、137、138、146、220、298、303です。各番号に対応した小見出しをつけています。
(134)ありもしない長所を装うこと:
On n’est jamais si ridicule par les qualités que l’on a que par celles que l’on affecte d’avoir.
◎人は、持ちあわせていない長所を持っているかのように装う時ほどには、自分がもつ長所によって滑稽に見えることは決してない。
(訳注)
・qualités:質、品質、長所、美点、肩書、身分
・qualités que l’on a:queはqualités(気質)を修飾する関係代名詞。人(on)が持つ気質。
・que par celles:このqueは、si ridicule queに対応。ne pas si…que~「~ほど…ではない」。このsiは、否定文や疑問文でaussiの代わりに用いられるもの(白水社/Le Dico)。例:Il n’est pas si intelligent que vous croyez「彼は君が思うほど賢明ではないよ。」
・celles que(関代) l’on affecte:cellesはqualités(女性名詞・複数形)を受けている。
・affecter:ふりをする、装う、(形態・様相を)示す、悲しませる、悪く作用する、害を与える
➡「ありもしない長所を持っているかのように装うこと」(celles=qualités que l’on affecte d’avoir)こそが「虚栄」といわけですね。なかなか、耳の痛い話です。
(135)人は変わる:
On est parfois aussi différent de soi-même que(=aussi que) des autres.
◎人は時々、自分が他人と異なるのと同じくらい、昔の自分自身と異なることがある。
(訳注)
・aussi A que B : Bと同じくらいA
・différent de:de~と異なる
・soi-même:自分自身
➡ この箴言が「虚栄」のテーマに分類されているのは、どうしてでしょうか。「虚栄」によって、「本来の自分」とは異なる自分を演じることがある、ということなのでしょうか。
でも、「虚栄」というテーマから離れて、「人は変わるもの」と考えることもできるような気がします。以前にも触れた通り、ラ・ロシュフコーの箴言は、前後の文脈が無い短文ですので、背景事情を自由に解釈することができると思います。(文法を自由に解釈する、という意味ではありません。)その点では、短いソネット(詩歌)よりももっと、自由度が高いと思います。
最初に私が考えたのは、「人は変わる」ということでした。これをプラスと考えるか、マイナスと考えるか。「成長」と考えればプラス、「退化」と考えればマイナス。ぜひともプラスに考えたいものですね!
私自身、昔は、「穴があったら入りたい」ほど恥ずかしい行動・考え方をしていたものです。近親者の死という衝撃があったせいもありますが、パスカルにかぶれて「世の中はすべて、人間が自らの悲惨さから逃避するためのdivertissement(気晴らし)に過ぎない」とか、「人間は互いに不可解の孤立に過ぎない」(『永井荷風』磯田光一 講談社学術文庫)などと考えていました。
(137)虚栄と自己主張①:
On parle peu quand la vanité ne fait pas parler.
◎虚栄心が出てきて、自分を語らせようとしない時には、人は余り語ろうとしないものだ。
(訳注)
・fait parler<faire parler : faireは使役動詞「~させる」
➡この箴言は、「虚栄」テーマそのものですね。
(138)虚栄と自己主張②:
On aime mieux dire du mal de soi-même que de n’en point parler.
◎人は自分について何も語らないことよりも、自分について悪しざまに語ることを好む。
(訳注)
・mieux que ~:~よりも多く
・dire du mal de~:~について悪口を言う。
・en:parler de soi-même「自分自身について語る」のde soi-mêmeをen(中生代名詞)で表現している。
➡この箴言は、「黙っているよりも自分の悪口を言うことの方を好むほど、人間には虚栄心がある」ということを言いたいのだと思います。当たっているような、ちょっと違うような。。。
(146)称賛は誰のため?:
On ne loue d’ordinaire que pour être loué.
◎もともと人は、自分がほめられるためにだけ、人をほめる。
(訳注)
・loue<louer:称賛する、ほめる、賃貸しする、賃借りする、予約する
・d’originare:普通は (originaire de~生まれの、生まれつきの、生来の、原初の)
➡ちょっと違うような気もします。例えば親が小さな子供を「ほめる」時はどうでしょうか?決して、子供からほめられたいと思って親が子供をほめることは無いと思います。
でも、「虚栄心」というテーマに沿って読むのであれば、確かに上記のような解釈も成り立つと思います。文脈次第で、解釈の余地がありますね。
(220)男の価値、女の美徳:
La vanité, la honte, le tempérament font souvent la valeur des hommes et la vertu des femmes.
◎虚栄、羞恥心、気立ては、男の価値を形作り、女の美徳を形作る。
(訳注)
・honte:恥、不名誉、恥ずべき行い、羞恥心
・tempérament:気質、気性、体質
・ valeur:価値
・ vertu:美徳、(古い意味では)貞淑、貞操
➡テーマの通り「虚栄」の文字が記載されている箴言ですが、ちょっと意味不明です。「虚栄」「羞恥心」「気立て」の3つが、なぜ男性にとっては「価値」であり、女性にとっては「美徳」なのかが分かりません。著者およびその時代の「価値」と「美徳」の定義にもよるのだと思います。なお、二宮フサ氏の翻訳では、valeurは「武勇」、vertuは「貞節」と訳されていました。
(298)感謝はだれのため?:
la reconnaissance des hommes n’est que secrète envie de recevoir de plus grands bienfaits.
◎人が感謝するのは、より多くの恩恵を得たいという秘かな願望に過ぎないのである。
(訳注)
・reconnaissance:感謝の念、謝意、恩義、偵察、それと分かること、識別、(法的)承認
・n’est que :ne~queは「限定」(~に過ぎない)を表す。
・secrète envie :秘かな願望 (secretは、古い表現では「本心を表さない、口が堅い」)
・plus grands:より大きな
・bienfaits:善行、親切、恩恵、効用、効果
➡この箴言も、一読するとちょっとひねくれている感じがします。常識的に、「純粋な感謝」というものも、社会生活の潤滑油のような意味では必ずあると思います。
著者も交わっていたであろう社交界における「虚栄」という文脈で解釈するのであれば、上記の解釈もアリとは思います。
(303)称賛は誰のため?:
Quelque bien qu’on nous dise de nous, on ne nous apprend rien de nouveau.
◎どんなに他人が我々自ついて好意的なことを言おうとも、我々は何も新たに学ぶことは無いのである。
(訳注)
・Quelque bien que~:どんな…であろうと。queの後には接続法となり、ここでは”dire”の接続法現在形(3人称)diseとなっている。
・dise de <dire de:dire du bien de~のことを良く言う
・nous apprend<s’apprendre:apprendreの代名動詞。習得される、覚えられる→我々に教える。
・de nouveau:再び、もう一度
以上、「虚栄」をテーマにした箴言を紹介させていただきました。二回にわたり紹介して参りましたので、少しうんざりされた方もいらっしゃるかと思います。
でも、そこはフランス語学習のためとご理解いただければ幸いです。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。