第37回 歴史の通念 ~ ヴォルテールは無神論者だったのか ~ 2021.2.6
皆様こんにちは、ぱすてーるです。本日も私のブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
今回は、第30回でご紹介した「歴史の通念150~HISTORIA編集~」(150 IDÉESS REÇUES SUR L’HISTOIRE ~Par la rédacion de Historia~)の中から、18世紀フランスの啓蒙主義思想家(注1)ヴォルテールに関するものをご紹介します。
通念としては無神論者、でも実際には理神論者であり無神論者では無かったことが、彼の作品や死の間際の言葉から分かり易く解説されています。ポイントとなる記述に関しては、フランス語の原文も引用します。なお、過去のブログの各所で触れております通り、私自身はほぼ無宗教であり、特定の宗教を否定したり推奨したりする意図は無い旨、予めご了承いただければ幸いです。
(注1)Wikipedia:啓蒙主義とは、ヨーロッパでルネッサンス後期から十八世紀後半にかけて起こった、革新的思想運動の立場。合理主義に立ち、因襲・迷信の打破、人間の解放を目ざした。
1)ヴォルテールに関する通念と実際:
「ヴォルテールは、どのような宗教であろうと断罪し、神は存在しないと言い続けた」と思われている節があります。しかし実際には、彼は「理神論者」(注2)とされています。
(注2)Wikipedia:キリスト教などの一神教において、神の実在を合理的に再解釈しようとする論。宇宙の創造主としての神の実在は認めるが、聖書などに伝えられるような人格的存在だとは認めない哲学・神学上の論)
彼はイエズス会が運営するルイ・ルグラン校(Louis-le-Grand)で学び、「生涯にわたりイエズス会の教授陣および偉大な伝道活動に対して、大いなる尊敬の念を抱いていた」(“Il gardera toute sa vie une grande admiration pour ses professeurs et les grandes entreprises missionnaires des la Compagnie de Jésus”)とのことです。
彼が否定したのは、神ではなく、「宗教やその伝統などの、神と人間との中間に存在するあらゆるもの」(“…mais il rejette tout intermédiaire entre lui et les hommes comme le sont les religions et leur tradition”)だそうです。
そしてそのことは、彼自身による次の詩の一節からも伺い知ることができる、とされています。<<L’univers m’embarrasse, et je ne puis songer que cette l’horloge existe et n’ait point d’horloger.>>(宇宙は私を当惑させる。そして私は、この大時計=宇宙が存在するのに、それを作った時計職人が不在とは考えることができない。)ちなみに、songerとhorlogerが韻を踏んでいます。
2)ヴォルテールの信念:
ボルテールが挑戦していた対象は神ではなく、宗教的な狂信と不寛容でした(“Le combat de Voltaire n’est pas une lutte contre Dieu, mais contre le fanatisme religieux et l’intolérance”)。
そして、宗教的な「不寛容」が惹き起こした悲惨な例を題材として、不滅の名著『寛容論』(注3)を書き上げました。そして、カトリックへの改宗を望んでいた息子を殺したという冤罪で、不当にも告発され処刑されたプロテスタント信者「カラス氏」の名誉回復を見事に勝ち取るのです。
(注3:Traité sur la tolérance:新教徒が冤罪で処刑された「カラス事件」を契機に、宇宙の創造主として神の存在を認める理神論者の立場から、歴史的考察、聖書検討などにより、自然法と人定法が不寛容に対して法的根拠を与えないことを立証し、宗教や国境や民族の相異を超えて、「寛容(トレランス)」を賛美した不朽の名著。アマゾン「BOOK」データベースより)
当然ながら彼に反対する勢力からの批判はすさまじく、「宗教の基盤を根底から覆し、それゆえ君主制をも揺るがし、風俗習慣の堕落を招く」(“saper les base de la religion et par là même de la monarchie et de favoriser la dépravation des mœurs”)というような批判もあったそうです。
死の4ヶ月前に彼が秘書のVagnièreに宛てたと言われる次の手紙の中には、彼の上記のような「信念」が垣間見えます。”Je meurs en adorant Dieu, en aimant mes amis, en ne haïssant pas mes ennemis, en détestant la superstition”(私は死ぬが、神を尊敬しつつ、友人を愛しつつ、敵を憎まず、そして盲信を忌み嫌いながら死ぬのである。
3)今日的意義:
彼が批判したのは何もキリスト教(カトリック)だけではなく、イスラム教、ユダヤ教も含め、あらゆる宗教に対して容赦無かったそうです。その徹底さには、全く持って脱帽です。ヴォルテールは私のペンネーム(ぱすてーる)の一部にもなっている、個人的に思い入れが強い思想家です。そうではありましても、上記のJe meurs…… en ne haïssant pas mes ennemis(敵を憎まずに死ぬ)は、ちょっと真似するのは容易では無いと思います。(別に、私個人に特定の敵がいる訳ではありませんが、世の中で多発する紛争等に照らした一般的見解です。)
正に「言うは易く行うは難し」ですので、まずは職場や家庭など身近な場面において、「寛容」の実践を練習していきたいと思います。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。