第17回 フランス語・文化の日本への影響

第17回 フランス語・文化の日本への影響

皆様こんにちは、ぱすてーるです。今日もお読みいただき、ありがとうございます。

今回は、第11回・12回のテーマ「フランス語の実用性」との関係で、フランス語が日本へ伝えられた歴史と、とりわけ日本の近代化に与えた影響につき、掘り下げてみたいと思います。「そんなことには余り興味ないなー」という方もいらっしゃると思います。そこは少しだけ、我慢をいただければと思います。「こんなに大きな影響があったとは」という点を少しでも理解いただければ、それが「フランス語上達」の一つのモチベーションになるものと確信しています。

なぜなら、以前から「惚れると上達する」とお話していますが、「惚れる」ことは必ずしも、文学作品を通じてだけとは限らないと思うからです。(私の場合がそうでありましたように、確かに「惚れる」入口が文学作品であることは多いとは思います。)文学作品を通じてだけでなく、政治や経済も含めた日本への影響ということも、フランス語を学ぶに際しての立派なモチベーションの一つになると思うからです。

<素晴らしいデータベース・国立国会図書館>

さて、フランスと日本の交流は、17世紀初頭、スペインから海路ローマに向かっていた日本の慶長遣欧使節が1615年に南フランスに上陸したことに始まると言われています(Wikipedia)。ただし、そこまで古い時代の話となりますと、手がかりとなる記録を探すのも一苦労です。

何といっても、日仏交流がその質と量において際立ち始めたのは、19世紀半ば以降の、日本の近代化と歩調をそろえていると思います。そこで大変役に立つ資料がありましたのでご紹介させていただきます。文学に限らず、政治、軍事、経済、法律など、実に幅広い分野でフランスと日本が交流を図っていたことが、国立国会図書館のホームページに見事に整理されています。以下、2013年のインターネット公開時の案内文を抜粋させていただきます。

<引用はじめ>

国立国会図書館は、平成25(2013)年3月、フランス国立図書館(Bibliothèque nationale de France)との間で、図書館活動の各分野における包括的な協力協定を締結し、順次、取り組んできております。その一環として、このたび共同電子展示会を企画し、ここに日仏両国の国立図書館のコレクションの中から、19世紀半ば以来の多年にわたる両国交流の歴史を反映する資料を精選し、インターネット上で公開することといたしました。

そのうち、国立国会図書館の展示は、「近代日本とフランス―憧れ、出会い、交流」と題し、安政5(1858)年の日仏修好通商条約締結に始まる両国の交流を、政治、産業、文学、芸術、生活スタイル、サブカルチャー等の各分野にわたって紹介しております。本年6月、日本の近代化遺産として「富岡製糸場と絹産業遺産群」がユネスコ世界文化遺産に登録されたことは記憶に新しく、近代的な製糸場の建設・操業にあたりフランスの技術が導入されたように、フランスが日本の近代化に及ぼした影響は大きなものがあります。また、フランスの文化は、芸術から生活スタイルに至るまで、日本において憧れの対象であり続けてきたことも、よく知られているところです。

<引用おわり>

詳しくは上記の国立国会図書館ホームページをご覧いただきたいのですが、その中でも軍事面や殖産興業(横須賀造船所・富岡製糸場)等の「ハード」以外の「ソフト」面での日本への影響に関し、私が一番惹かれるのは次の3点です。

1.政治思想:ヴォルテール、モンテスキュー、ルソーなどをフランスで学んだ中江兆民が、特にルソーの『社会契約論』(中江の訳書タイトルは『民約訳解』)を日本に紹介。それが後の自由民権運動の精神的支柱になったという事実。社会契約論がフランス革命に影響を与えたという事実は、世界史の教科書で習う知識としてだけでなく、もっと大きな人類の知的遺産として捉えなおす必要があると思います。(桑原武夫・前川貞次郎の翻訳による岩波文庫 社会契約論「まえがき」には、有史以来、人類の精神にもっとも大きな影響を与えた本として、イギリス労働党の学者が『聖書』『資本論』『社会契約論』の3冊を挙げていることが紹介されています。)

2.資本主義:「日本資本主義の父」と言われる渋沢栄一が、将軍徳川慶喜(1837-1913)の名代としてパリ万国博覧会に出席する徳川昭武(1853-1910)に随行したこと。1年半のフランス滞 在の間、昭武一行の会計役を担った渋沢が、滞在を世話した銀行家ポール・フリュリ=エラール(1836-1913)から、資本主義経済の仕組みを学んだという事実。特に、フリュリ=エラールが軍人と対等に接するのを見て、身分制の打破と実業の地位向上の必要を痛感したと渋沢は後年述べているそうです。帰国後の渋沢が、大蔵省入りして株式会社制度や通貨制度の確立に努め、その後実業界に身を転じて約500もの会社を作り上げたことは良く知られている通りです。

3.文学:日本の文学史に名を残す小説家・詩人への大きな影響。永井荷風や萩原朔太郎、堀口大学、上田敏、金子光春、、、枚挙にいとまがありません。恥ずかしながら、学生時代には、朔太郎の 「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し/せめては新しき背広をきて/きままなる旅にいでてみん」(「旅上」)を読み、本気でフランスに憧れていました。(もっとも、私の場合は、第1回ブログに記載させていただいた通り、パスカルへのやや屈折した憧れが中心だったのですが。)『智恵子抄』で有名な詩人・画家の高村光太郎の『雨にうたるるカテドラル』も大好きです。

以上、少し長くなってしまいました。今回のブログのテーマは、最初第11回・12回のテーマ「フランス語の実用性」との関係で、フランス語が日本へ伝えられた歴史と、とりわけ日本の近代化に与えた影響につき掘り下げること、でした。

つまり、上記の国立国会図書館のホームページで詳しく紹介されているような、「長く、豊かな交流史」を持つフランスと日本の関係に、少しでも思いを馳せていただければと思います。そうすれば、文字通り「とてつもない」影響を日本に与えたフランスという国の言葉に対する興味や愛着が、自ずと沸いてくるでは、と思う次第です。(少し反省しますと、フランスをひいき目に見過ぎた感も否めないと思います。よって別の機会に、フランス語以外の他の言語の日本への影響についても、調べてブログに落とし込んでみたいと考えています。)

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

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