第19回 名著でフランス語上達 ・ヴォルテール『寛容論』
皆様こんにちは、今回も私のブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
1)ヴォルテール『寛容論』 (ほれる対象の一例):
フランス語上達の秘訣は一つではありませんが、その一つが「惚れること」であることは間違いありません。「好きこそ ものの 上手なれ」ですね。とはいえ、「惚れる」対象としては、必ずしも前回の第18回ブログで紹介した詩歌に限ったものである必要はないと思います。
その一例として、本日は、18世紀を代表する啓蒙主義思想家、ヴォルテールの『寛容論』(Voltaire, Traité sur la tolérance)を紹介したいと思います。本ブログでお伝えしたいことは、次の2点です。
①どうしてそれほどこの書物に価値があるのか。
②それほど価値のある書物を生んだフランスという国の価値、およびフランス語を学ぶ意義。
それぞれ順番に解説させていただきます。
なお、恥ずかしながら、学生時代には悶々としてパスカルのことばかり考えていたせいもあり、この名著を読んだことがなかったのです。今思いますと、不思議と二人とも当時のイエズス会を批判(※注1)していた点では共通していました。
(※注1)第1回ブログの自己紹介の通り、私はほぼ無宗教です。よって特定の宗教を信じたり、逆に批判したりする意図は全くございません。ここでいう「イエズス会批判」も、あくまで「当時ヴォルテールが実施したもの」です。
2)本書自体の価値 (人類の知的遺産):
特定の信条の相違を超越した「寛容の精神」は、『寛容論』が出版された当時(1764年)だけでなく、現在も、今後も、人類普遍の価値であり続けること。それゆえ、年齢を問わず、本書は必読書であるということ。
しばしば、日常会話においても、比較的気軽に「寛容の精神」という言葉を口にすることがあると思います。ある意味、社交儀礼とさえ言えるかもしれません。
しかし、本書は全く違います。文字通り、「筋金入り」の真剣勝負です。圧倒されます。そして、惚れます。以下、アマゾンによる書籍紹介および著者紹介を引用させていただきます。
a)書物の概要:「新教徒が冤罪で処刑された<カラス事件>を契機に、宇宙の創造主として神の存在を認める理神論者の立場から、歴史的考察、聖書検討などにより、自然法と人定法が不寛容に対して法的根拠を与えないことを立証し、宗教や国境や民族の相異を超えて、寛容<トレランス>を賛美した不朽の名著。」
b)著者紹介:「ヴォルテール1694~1778。本名フランソワ=マリー・アルゥーエ。1717年、摂政オルレアン公を風刺した詩の作者としてバスチーユに投獄される。1718年、悲劇「エディプス王」初演、成功を収める。1719年、決闘の罪で再投獄、イギリスに亡命。1734年、イギリス見聞報告の装いのもとに、フランスを批判した『哲学書簡』を刊行、直ちに発禁処分となる。愛人シャトレ夫人とシレーに逃亡、約十年間同地に滞在、学究生活を送る。一時、プロイセン王フリードリヒ二世に招かれたが、1759年以降、スイス国境近くのフェルネーに安住する。」
➡上記a)は簡潔な紹介文ですが、やはりちょっと臨場感に欠ける感じがします。250ページほどの日本語訳が中公文庫で出版されていますので、是非是非、お読みいただければと思います。哲学書っぽいルポルタージュ、の様な感じで気軽に読み進められます。以下、原文の第4章終わりの部分の一部を引用し、私の和訳を付します。
Enfin, cette tolérance n’a jamais excité de guerre civile;
要するに、この「寛容」の精神によって内戦が引き起こされたことは決してないのである。
l’intolérance a couvert la terre de carnage.
「不寛容」こそが、地上に虐殺を引き起こしてきたのである。
Qu’on juge maintenant entre ces deux rivales, entre la mère qui veut qu’on égorge son fils, et la mère qui le cède pourvu qu’il vive!
どうか皆様が、次の二人のライバルの一方から適切な方を選択されますように。一人は、(ソロモン王の命令に従い)自分の息子の喉を掻き切ることを望んだ母親(※注2)であり、もう一人は、(ソロモン王の命令で息子が殺されるのを避けるために)息子が生きていてくれさえすればと願い、自分の息子を前者の母親へ譲ることを選択した母親である。(※注2:原著 GF Flammarion,2017,p33には、「ソロモン王の逸話の暗示」とあります。恐らく、旧約聖書 列王記上3:1-28『ソロモンの結婚と知恵』の逸話が背景にあると思われます。)
➡ヴォルテールの時代から250年以上が経過していますが、世界各地で起きている戦争やテロ、某国での国民の二極化など、まるでヴォルテールが現代を予見していたかのような報道は、枚挙に暇がありません。上記の抜粋部分をお読みいただくだけ でも、本書を読む価値があることが伝わるのでは、と思います。
なお、本書でいう「不寛容」は、直接的にはカラス家に対する「カトリックによるプロテスタントへの不寛容」という対立構図がベースになっています。そうではありましても、「宗教的不寛容」に限定した議論として読む必要は必ずしも無いと思います。
次に、本ブログでお伝えしたいことの2点目(上記1)の②)に触れさせていただきます。
3)『寛容論』を生んだフランスという国の再評価(外国語を学ぶモチベーション):
本ブログの趣旨(フランス語の上達)に照らせば、このような名著を生んだフランスという国の価値を、再評価してみてはと強く思います(「再評価」など大変おこがましい表現で恐縮いたします)。そして、それこそフランス語を学ぶモチベーションの一つなのです!
ある国の価値や魅力、そしてその国の言語の魅力や、それを学ぶモチベーションは、その国が「人類への貢献となる名著・名作」をどれだけ産んだか、ということも一つの大きなバロメーターになるのでは、と思います。
もちろん、第11回・12回のブログでも触れさせていただいた「実用性」という視点も欠かせないとは思います。でも、果たしてそれだけで良いのでしょうか。
個人的には、語学学習・上達のためのモチベーション・動機付けとしては不十分と感じています。もちろん、必要性に迫られて上達するという側面があることを否定するものではありません(実際、後日説明させていただきますが、私もそうでした)。
ちょっと脱線してしまいますが、上述の「ある国の価値や魅力、そしてその国の言語の魅力や、それを学ぶモチベーションは、その国が”人類への貢献となる名著・名作”をどれだけ産んだか、にもよる」という視点から、日本発で世界に影響を与えるような書物や文化はどれくらいあるでしょうか。
日本の場合、古くは鈴木大拙の禅、最近では村上春樹の小説、宮崎駿のアニメ、黒澤明や北野武の映画など、それなりにありそうです。後日、私なりに検証してみたいと思います。(禅と言えば、アップル創業者のスティーブ・ジョブズにも影響を与えていたみたいですね。)
今回もお読みいただき、ありがとうございました。