第33回 フランシス・カルコ ~ 雨が降る (Il pleut) ~

第33回 Francis CARCO ~ 雨が降る(Il pleut) ~

                                   2021.2.2

 皆様こんにちは、ぱすてーるです。本日もお読みいただき、ありがとうございます。

 今回は、「フランス詩」シリーズとして、ニューカレドニア生まれの作家・詩人・ジャーナリストであったFrancis CARCOの作品 「雨が降る」をお届けします。

 過去のブログでご紹介したユーゴー、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボーと言った、「文学史に名を残す巨匠」の詩よりも遙かに近づきやすい詩です。雨の中、セーヌ川沿いのカフェでぼんやりと道行く人や車を眺めているような、映画のワンシーンのような、あるいは印象派の絵画のような不思議な気持ちにさせてくれる美しい詩です。(なお、古い白黒動画ですが、YoutubedeでもValérie Ambroiseという女性が、ギター1本で弾き語りをしている動画が見られます。)

 カルコは1886年7月3日 ニューカレドニアのヌメア(Nouméa)生まれ。本名フランソア・カルコピーノ・チュゾリ(François Marie Alexandre Carcopino-Tusoli)。父は公務員で国有財産検査官。5才になるまでは、島送りとなる徒刑囚が鎖で繋がれながら行進するのを、自宅2階の窓から眺めていたそうです。このイメージは生涯彼の脳裏に焼き付き、作品にも影響を与えているとのことです。

 また、父親は権威主義的で暴力をふるうタイプだったらしく、カルコは詩の中に逃げ場を見出し、そこで「内なる反抗」(révolte intérieure)を試みていた模様です。彼の破天荒な生涯につきましては、以下、Wikipediaの解説を引用させていただきます。

<引用はじめ>

 1910年頃パリで放浪生活をはじめ、泥棒や不良少年らとかかわり合いながら、下層民の生活の中に詩想を感じとり「放浪生活とわたしの心」(’12年)などの詩集を歌った。「伝説ユトリロの生涯」(’27年)などパリで生きた芸術家や詩人の伝記のほか、小説「追いつめられた男」(’22年)ではアカデミー・フランセーズ小説大賞を受けた。他の作品に「たかが一人の女だけれど」(’24年)、「モンマルトルからカルチエ・ラタンへ」(’27年)などがある。

<引用おわり>

 前置きが長くなってしまいました。それでは、カルコのシンプルで美しい詩をお楽しみください。全16行の詩の頭に番号を付しています。

 私の翻訳も添えますが、恥ずかしいほど「野暮」で恐縮いたします。詩的言語がいかに「翻訳」に不向きであるかということ、別の言い方をしますと、詩的言語というものが如何にその言語特有の「魂」「真髄」とも言うべき価値あるものであるか、ということが否応なく伝わるのではないかと思います。否応なく、自国の「言葉」に対して意識的にならざるを得ません。

<引用はじめ>

           – Il pleut –

           (雨が降る)    Francis Carco

1)Il pleut — c’est merveilleux. Je t’aime.

雨が降っています。素敵です、愛しています。

2)Nous resterons à la maison :

家の中に居ることにしましょう。

3)Rien ne nous plaît plus que nous-mêmes

晩秋の今、もはや私たち自身を除けば、

4)Par ce temps d’arrière-saison.

他に気に入るものなど何もありません。

5)Il pleut. Les taxis vont et viennent.

雨が降っています。タクシーが行き来しています。

6)On voit rouler les autobus

バスが走るのが目に入ります。

7)Et les remorqueurs sur la Seine

セーヌ川に浮かぶ、曳き船が鳴らす汽笛の音のせいで、

8)Font un bruit… qu’on ne s’entend plus !

もはや私たちにはお互いの声が耳に入りません。

9)C’est merveilleux : il pleut. J’écoute

素敵です、雨が降っています。

10)La pluie dont le crépitement

雨のしずくが、少しずつ窓に当たる

11)Heurte la vitre goutte à goutte…

音に耳をすませています。

12)Et tu me souris tendrement.

そしてあなたは、やさしく私に微笑むのです。

13)Je  t’aime. Oh ! ce bruit d’eau qui pleure,

愛しています。ああ、この泣くような雨の音は、

14)Qui sanglote comme un adieu.

まるで、別離のすすり泣きのようです。

15)Tu vas me quitter tout à l’heure :

あなたは間もなく、去ってしまうのですね。

16)On dirait qu’il pleut dans tes yeux.

まるで、あなたの瞳の中に雨が降っているかのようです。

(訳注) ※下記文頭の数字は、上記の各詩行の頭に付した数字です。

3)Rien ne nous plaît plus que nous-mêmes:nous plaît < se plaire「互いに気に入る」 ne~plus「もはや~ない」ne~que…「…しかない」

4)Par ce temps d’arrière-saison:arrière-saison「晩秋」「初冬」

8)s’entend <s’entendre「互いの声が聞こえる」「仲が良い」

10)La pluie dont le crépitement heurte la vitre…:crépitement de la pluieがdontとなっている。英語に直訳するとThe rainfall whose crackling hit the window…となる。

14)sangloter:すすり無く (第7回ブログで紹介したヴェルレーヌの詩『秋の歌』の第1行目に出てくる「Les sanglots longs…」のsanglos(すすり泣き)の動詞形です。

15)tout à l’heure:「間もなく」

16)On dirait que~:「まるで~のようだ」diraitはdire(「言う」)の条件法現在形。

<引用おわり>

 いかがでしたでしょうか。パリの喫茶で、道行く人や車を「ぼーっと」眺めているようなイメージを楽しんでいただけるのではないでしょうか。

 社会人になってしばらくの間、フランス語を使った仕事で目にするフランス語(以下、「仕事のフランス語」と表記させていただきます)と、「惚れたフランス語」との違いを日々の仕事で実感していた頃に、後者を忘れないよう暗唱してはWORDに書き出していたものです。

 例えば、「仕事のフランス語」の例といたしましては、当時輸出していた農業機械に関して次のような単語を使っていました。刈り取ったお米を綺麗にする「精米機」はdécortiqueur (英語ではRice mill)、 「発電機」はGroupe Électrogène(英:Generator)、米や麦などの穀物を刈り取る自走式機械である「コンバイン」はMoissoneuse(英:Combine Harvestor ←第30回ブログ「ガリア人は野蛮だったか」でも出てきた単語です。よく、アメリカの大農場で自走しながら小麦やトウモロコシを刈り取る映像を見かけると思います)などなど。

 これらのフランス語は、「実用性」の観点からは物凄く大切です。なぜなら、公用語として実際に契約書に記載されたり、貿易取引に際し信用状や船積書類においても用いられるからです。

 一方で、「仕事のフランス語」が、詩人が魂を込めて紡ぎ出すフランス語とは、ちょっと毛色が違うのは言うまでもありません。この「違い」に幻滅するのか、それとも、「用いられる場面が違う」と割り切って捉えるのか。この点に関しては、人それぞれの事情(興味関心の度合い、成長段階や仕事での関わり方など)に応じて答えは異なってくるものと思います。

 今の私は、後者の立場です。(白状しますと、大学卒業したての頃は、未だ前者の立場を重視する青臭い傾向も残していました。)これこそ、フランス語の一つの「用いられる幅の広さ」の例証だと考えています。言わずもがな、「霞(かすみ)を食って」生きることはできませんし。。。

 本日もお読みいただき、ありがとうございました。

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