第36回 中南米のフランス語圏 (ハイチ)
皆様こんにちは、ぱすてーるです。本日もお読みいただき、ありがとうございます。
本日は、「フランス語活用」の実例として、中南米の「ハイチ共和国」でのエピソードをお届けします。
1)ハイチ共和国
ハイチ共和国は、西インド諸島に含まれる大アンティル諸島のイスパニョーラ島西部を領土とする共和制国家です。公用語はフランス語。同じ島の東側はドミニカ共和国で、こちらの公用語はスペイン語です。島の西側1/3がフランス語圏、東側2/3側がスペイン語圏ですから、容易にフランスとスペインの確執が推定されます。
実際、この島は1492年にコロンブスが「発見」し、その後スペイン人が入植しましたが、その後、島の西部をフランスが1659年以降徐々に占領していったそうです。その頃にはスペインの国力も衰退しており、フランスを追い払う軍事力は無く、1697年のライスワイク条約により島の西側1/3がフランス領とされ、これが現在のハイチとなっています。
独立を目指す勢力が、フランス革命後にナポレオンが派遣したフランス軍とも戦い破れますが、その後1804年に独立を宣言し、世界初の黒人による共和国となっています。その後の展開は、ブログの趣旨から省略させていただきます。
2)空港の熱気
首都ポルトープランス(Port-au-Prince:王子の港)は、米国マイアミの南東1,100kmに位置しています。空港名は2003年に「ポルトープランス国際空港」から、独立運動家名に由来する「トゥーサン・ルーヴェルチュール国際空港」に変更されています。
空港に降り立つと、独特の熱気と湿度、そして何やら物々しい人の声が聞こえます。荷物をピックアップしに行くと、そこには旅行者やビジネス客の荷物をタクシーまで運ぶことにより、お小遣いを稼ごうとする人々が沢山いました。
「あれ、どこかで見た光景と同じだなあ」と、ふと記憶を辿ると、その光景はアフリカの貧しい国々の空港と全く同じであることに気づきました。その後街中に出た際に初めて目にした光景も、これまたアフリカそのものでした。
3)ハイチの白タク:
事前にAgentの方に迎えに来ていただく予定だったのですが、気が付いたら比較的人当たりの良さそうな運転手の白タクに乗っていました。Agentの方の連絡先を忘れたのか、待たされてしびれを切らしたのかは覚えていないのですが。。。
その白タク運転手からは、特段「ぼったくり」のタクシー代を請求された訳でもなく、変なセールスを受ける訳でもなく、道すがら世間話を楽しみながらホテルまで運んでもらいました。今思えば、非常識も甚だしいと思います。誘拐などの犯罪に巻き込まれるリスクもゼロではありません。「運が良かった」と言うべきでしょう。
4)ホテル「モンタナ」
なだらかな山の中腹に位置するホテル「モンタナ」には2週間ほど滞在しました。ところが周辺には買い物ができる店もなく、仕事で外出する時以外はほぼホテルに缶詰め状態であり、食事のメニューも限られていたので、3食連続「トマト入りオムレツ」という日もありました。そのせいで、現在の高コレステロール体質ができてしまったのでは、と考えています(笑)。
当時のホテルは、電気事情も悪く、fax送信だけでなく受信にもお金を取られていました。(現在はfaxを使っているのかどうかは分かりません)。水道が時々断水する点も、アフリカとそっくりでした。
ホテルは山の中腹にありますので、眺めは素晴らしかったです。その一方で、一歩ホテルを出て街中に出ると(空港に迎えに来ていただく予定だった、元大使館員の方にご案内いただきました)、街中は雑然としており、浮浪者や、車道で土産物を売る人々がいるなど、ホテル内とは全くの別世界でした。極度の貧富の差が「すぐそこの」目の前に存在することも、アフリカとほぼ同じでした。
5)クラブメッド
或る日、仕事で郊外の港に行く機会がありました。その帰り道に、Agentの方から「クラブメッドがあるが行ってみないか」と誘われました。生憎その時は、前日からお腹の具合が悪かったのですが、ずっとホテルに缶詰め状態でしたので「是非」と即答。
「本当にクラブメッドなんてあるのかな?」と半ば疑心暗鬼ではありましたが、1時間ほど車を走らせると、なんと、本当に別世界のリゾートが開けていました。いま、ネットで調べてみると、Royal Decameron Indigo Beach Resort & Spaというリゾートがヒットしました。「閑古鳥が鳴いているのではないか?」という疑念が一瞬、頭をよぎりましたが、杞憂と言いますか、事実は全く逆で、立派なリゾート地に多くの裕福そうな観光客が沢山いました。「こんなところに(と申しては怒られてしまいそうですが)こういう世界があるんだなあ」という感慨に耽った記憶があります。お腹を壊していたので何も飲食できず、何とも残念な訪問となってしまいました。
以上、不思議な形でフランス語を使う機会に恵まれたエピソードをお知らせいたしました。本日もお読みいただき、ありがとうございました。