第61回 科学者と詩 ~ 湯川秀樹 ・ シャルル・クロ ~

第61回 科学者と詩 ~ 湯川秀樹 / シャルル・クロ ~

 皆様こんにちは、いつも本ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

第59回・60回のブログでは、少し堅いテーマ「詩とは何か」に触れました。今回は、「口直し」ではありませんが、もう少しくだけた「詩論」をお届けします。日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹(1949年ノーベル物理学)のものです。

 およそ物理学者の「頭脳」から編み出されたことばとは思えない、みずみずしい、珠玉の詩論です。「えっ?湯川秀樹の詩論?何かの間違いでは?」と思われる方もいると思います。

 はい、第一印象としてはその通りだと思います。でも、その印象は、良い意味で完全に打ち砕かれます。『詩と科学』という詩論です。「フランス語上達」という本ブログのテーマに照らしますと、ちょっと筋違いかもしれません。

 ですが、「フランス語上達のための」「フランス詩の理解」の一環として、是非紹介させて欲しいのです。心底惚れ込んでいる詩論です。古今集の「仮名序」(第1回ブログご参照)と併せてお読みいただければ、詩というものの価値をより身近に感じられると思います。

 なお、本ブログのテーマに照らし、湯川秀樹の詩論に続いて、フランスの科学者にして詩人でもあったシャルル・クロ(Charles Cros)の詩をご紹介します。どうぞ、お楽しみください。

1)『詩と科学』~こどもたちのために~ 湯川秀樹:

「詩と科学 遠いようで近い。近いようで遠い。どうして遠いと思うのか。科学はきびしい先生のようだ。~中略~ 詩はやさしいお母さんだ。~中略~ しかし何だか近いようにも思われる。~中略~ 薔薇の花の香をかぎ、その美しさをたたえる気持ちと、花の形状をしらべようとする気持ちの間には、大きな隔たりはない。」

 1946年、39歳の時の随筆とも詩論とも言える素晴らしい著述です。もちろん全文を紹介することはできませんので、是非、平凡社から出版されている書籍をご覧になって下さい。

 「科学者と詩」という視点から文学史を眺めると、日本では、自然科学者でありながら文学にも造詣の深い人がいます。例えば、寺田寅彦のような人です。

 フランスでは、詩人ではありませんが、まるで散文詩のような珠玉の随想を多く残した天才数学者・科学者のパスカルがいます(信仰心の篤さの余り、ちょっとペシミスティックですが)。
 
 上記の湯川秀樹の詩論を読んでいると、パスカルの「幾何学の精神・繊細の精神」(『パンセ』ブランシュヴィック版の冒頭に掲載されているEsprit de géométrie, esprit de finesse)が頭に浮かんで来ます。

2)シャルル・クロ:

 以下、19世紀後半のフランスで活躍した、発明家にして詩人でもあるシャルル・クロの詩を紹介します。エジソンよりも先に蓄音機を考案したり、色彩写真と呼ばれる技術開発の先駆者でもあったそうです。
 
 南仏オード県のファブルザン生まれ。祖父、父ともに教授という学者の家系の三男。学校には行かずに父の家庭教育によって、ドイツ語、イタリア語、ギリシャ語、サンスクリッド語、ヘブライ語や、数学、化学、哲学、医学、音楽などを学ぶ。のちに長兄は医者、次兄は彫刻家に。本人は18歳の時にパリ聾唖学校の教師となるが、2年後に解雇。独学で医学を学びながら、文学仲間と付き合うようになったそうです。破天荒ですね。

それでは、お楽しみください。短い詩ですので、4詩行ごとに和訳と訳注を付します。◎部分が日本語訳です。

À GRAND-PAPA

◎おじい様へ

Il faut écouter, amis,
La parole des ancêtres.
— Ne soyons jamais soumis !
Mais, d’où viennent tous les êtres ?

◎友よ、祖先の言葉を聞かなければなりません。(とはいえ) 決して、その言葉に従順であれ、というつもりはありません。けれども、全ての存在は、どこからやってきたのでしょうか。

(訳注)
・ancêtres:先祖、祖先
・soumis:soumettre(提出する、服従させる、<多く受動態で>規則などに従わせる)の過去分詞。従順な、素直な。
・être:存在、生物、人、人間、(軽蔑的に)やつ、(人間の)心、内奥

Donc pour cela, puis-je oser,
À travers l’imaginaire,
Vous envoyer un baiser
De tout mon cœur,mon grand-père ?

◎だから、おじい様、そのために私は敢えて、想像の世界を通じて、あなたにキスを送っても良いでしょうか、心の底から。
 
(訳注)
・puis-je:puisはpouvoirの直説法現在形(1人称単数)であるje peuxの別形。倒置形ではpeux-je~?とはならずに、puis-je~?となる。
・oser:思い切って~する、厚かましくも~する
・à travers~:~を横切って、貫いて、通して (travers:悪い癖、奇癖)
・imaginaire:(心理・哲学)想像の世界、想像の産物、想像力

Vous faisiez des vers très doux
D’après le doux Théocrite,
« L’Oaristys ! » C’est de vous
Qu’en faisant ces vers, j’hérite.

◎あなたは、テオクリトスの詩にならって、甘美な詩を創作されました。<<オアリスティス!>>私は、これらの詩を作りながら、あなたを受け継ぐのです。

(訳注)
・faisiez:faireの直説法半過去形(二人称複数)
・vers :①詩句、詩の一行(vers自体で単数形)、韻文(↔prose:散文) ②~の方へ(前置詞)
・d’après:~によれば、~に従って
・en faisant:faireの現在分詞。enと共に用いられると「~しながら」(ジェロンディフ)
・hérite<hériter de~:de~を相続する、受け継ぐ。

・Théocrite:テオクリトス。紀元前300年~260年頃。古代ギリシアの詩人。シチリア生まれで、無言道化芝居や恋愛田園詩、英雄伝を著述。以下、Wikipediaの解説を引用します。
<引用はじめ>

Théocrite, né vers 310, mort vers 250 av. J.-C., est un poète grec, auteur de mimes (古代の無言道化芝居), d’idylles(一般に恋愛を主題とする田園詩) pastorales et de contes(物語・短編小説) épiques(叙事詩の、雄壮な、華々しい).

<引用おわり>

・Oaristys:古代ギリシア詩のジャンルの一つで、恋人間の対話を主題とする。その後、近現代ヨーロッパの詩に受け継がれた。以下、Wikipediaの解説を引用します。

<引用はじめ>

“L’Oaristysest un genre poétique grec antique ayant pour thème les conversations entre deux amoureux. Après l’Antiquité, il connaît une postérité(後継者) dans la poésie européenne à l’époque moderne et contemporaine.”

<引用おわり>

3)まとめ / 詩と科学:

 以上、物理学者である湯川秀樹の詩論、および発明家シャルル・クロの詩を紹介させていただきました。
 
 実は高校時代、理科系から文科系に転じた後は、何となく後ろめたい気持ちを感じていたものです。高校時代のわずか数年の間の出来事ですが、「便宜的に」理科系・文科系の「選択」をしなければならない時期がありました。「文転」=「理数科目の落第」というわけです。

 では、同様の「選択」を、「詩と科学」において実施する必要があるのでしょうか。そんなはずはありません。我々人間の日々の営みには、両方が必要です。技術革新のスピードが日々速まっている今、「私には科学なんて」などと言ってはいられませんね。

 「詩と科学」という、一見して突拍子もない組み合わせですが、決して「どちらかを選ばなければならない」と考える必要はありません。「詩」と「科学」、あるいは「幾何学の精神」と「繊細の精神」、どちらも大切にしていきたいですね。

 本日もお読みいただき、ありがとうございました。

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