第88回 “辞書いらず”フランス語 /「テーマ別」ラ・ロシュフコー箴言集 ・「政治家」
皆様こんにちは、今回も当ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
今回は、第86回ブログのラ・ロシュフコー「テーマ別」箴言シリーズ続きとして、「政治家」(hommes politiques)をテーマとした箴言をご紹介します。箴言番号は326、327、328、329です。いつものように、各「テーマ」の初回は、分類者であるJean-Marie André氏による「巻頭言」からご紹介します。
今回も、簡潔なフランス語の文章を通じて「生きる知恵」を学ぶことができます。フランス語文左側の( )内の数字が箴言番号、◎が和訳です。それでは、お楽しみください。
<引用はじめ>
Les hommes politiques : louer les princes des vertus qu’ils n’ont pas, c’est les injurier…
◎政治家:王たちが身に着けていない数々の美徳をほめたたえること。それは、王たちを侮辱すること。
(訳注)
・hommes politiques:政治家
・louer:①借りる ②ほめる:louer A de(pour) B「A(人)のBをほめる」
・prince:①王子、皇子、親王 ②(文学的表現で)君主、王 ③大公(フランス貴族の最高位、大公国の元首 ④(文学的表現で、de~の)第一人者、~王
・injurier:ののしる、罵倒する、侮辱する
(326) Le ridicule déshonore plus que le déshonneur.
◎物笑いの種になることは、不名誉であることよりも不名誉である。
(訳注)
・ridicule:①(形容詞)こっけいな、おかしい ②(形容詞)ばかげた、不合理な (非人称構文で)Il(C’est) est ridicule de+不定詞~するのはばかげている③(形容詞)わずかな somme ridicule(取るに足らない金額)④(名詞)こっけいさ、物笑いの種 ⑤(名詞、多く複数形で)奇癖、奇行
・déshonorer:①(他動詞)名誉を傷つける、顔に泥を塗る ②(古い表現で)(女性を)辱める。ここでは、自動詞として翻訳しています。
・déshonneur:不名誉、恥辱
➡いかにも、貴族社会で共有されていそうな価値観ですね。「決闘」のシーンが目に浮かびます。
(327) Nous n’avouons de petits défauts que pour persuader que nous n’en avons pas de grands.
◎我々が自らの小さな欠点を認めるのは、より大きな欠点を持っていないことを分かってもらうためだけである。
(訳注)
・n’abouons …que pour ~:~のためだけに(限定)
・avouons<avouer:認める、白状する、自白する。
・défauts:欠点
・persuader:納得させる、説得する
・nous n’en avons pas de grands: enはdéfautを指し、「もっと大きな欠点」
➡ドキッ、とさせられるひとことだと思います。小さな欠点も大きな欠点も外に出さずにいて、ある日突然、「大きな欠点」が明るみに出るよりは、日ごろから「小さな欠点」を小出しにしておいたほうが良いですね。
(328) L’envie est plus irréconciliable que la haine.
◎羨望は、憎しみよりも解決されづらいものである。
(訳注)
・envie:①欲求、願望 ②羨望、ねたみ
・irréconciliable :和解できない、相いれない
・haine:憎しみ、憎悪、嫌悪
➡考えさせられますね。「欲望には限りがない」、とは良く言われますが、一方で「憎しみには限りは無い」、と言われるのを聞くことは余りないですね。
(329) On croit quelquefois haïr la flatterie, mais on ne hait que la manière de flatter.
◎人は時々お世辞を嫌うが、しかし(実際は)、人はお世辞の言い方を嫌っているに過ぎない。
(訳注)
・haïr :憎む、嫌う、恨む
・flatterie:へつらい、お世辞
・hait :haïrの直説法現在形
・manière:①仕方、やりかた ②流儀 ③(芸術・文学の)手法、様式 ④(複数形で)態度、物腰、作法 ⑤(複数形で)気取りfaire des manières「気取る」「もったいぶる」
・flatter:お世辞を言う、へつらう
➡何とも言い得て妙!ですね。人は「お世辞を言うこと、お世辞を言う人」を軽蔑することがありますが、実際には、みんなお世辞を言う点では共通していて、違うのは「お世辞の言い方」の好みに違いがあるということ。だから人によっては「そのお世辞の言い方は嫌い」というようなことになる、という訳ですね。
宮廷や社交界の修羅場を生き抜いてきた人ならでは、の言葉だと思います。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。