第42回 テーマ別(3)ラ・ロシュフコー箴言集より
皆様こんにちは、ぱすてーるです。本日も第40回の「テーマ別」(2)に続き、ラ・ロシュフコーの箴言集から、La vanité(虚栄)に関するものを引用させていただきます。
「虚栄」のテーマに含まれている箴言は、第40回ブログのテーマ「高慢」の部分にも含まれていた箴言33番も含めると、全部で12個あります。今回はその中から、3つを紹介します。
1)気立ての良さ・頭の良さ:
(98)Chacun dit du bien de son cœur, et personne n’en ose dire de son esprit.
◎誰でも自分の気立ての良さについては語るけれども、誰一人として敢えて自分の頭脳の良さについて語ることはない。
(訳注)
・dit du bien de ~ <dire du bien de ~:~のことをほめる、好意的に語る。
・en:「de~」を受ける中生代名詞。ここではdu bienを受けている。
・ose<oser~:敢えて~する、思い切って~する。
・dire de~:~について語る
・esprit:精神、知性、頭脳、才気、機知、気性、性向、想像力、才覚、意思
➡どうしてこの箴言が、「虚栄」のテーマの中に分類されているのでしょうか。
恐らく、テーマ分類をされた方(Jean-Marie André氏)の解釈は、「人は虚栄心によって、本当は自分の頭(esprit)の良さについて語りたいのだけれども、それを隠し、代わりに気立て(cœur)の良さについて語る傾向がある」というものだったのだと推定されます。
そしてこの解釈が正しいとすれば、それはラ・ロシュフコーの意図そのものなのだと思います。皆様はどのように解釈されるでしょうか。
箴言は短文ですので、小説や論説のように前後の文脈がありません。ですから解釈にはある程度、幅があるように思います。ちょうど、短い詩に複数の解釈があるように。
なお、ラ・ロシュフコーの箴言集は、当時彼と親交のあったスウェーデンのクリスチナ女王も読まれていたそうです。そして、女王は『箴言集』第三版の箴言ひとつひとつに感想を記していたそうです。後ほど紹介する箴言133番についても、コメントを残されています。
2)称賛と喜び:
(123)On n’aurait guère de plaisir si on ne se flattait jamais.
◎もし人が”自慢する”ということをしないのなら、ほとんど喜びというものは無くなってしまうだろう。
(訳注)
・se flattait<se flatter de ~:~するのを自慢する、自画自賛する。flatter「お世辞を言う」「へつらう」の代名動詞 (自分にお世辞を言う→ 自慢する)
・ne ~ guère:「余り~でない」「ほとんど~でない」。
・si~, aurait:avoirの条件法現在形。現在の事実に反する仮定。「もし人が”自慢する”ということをしないのなら、ほとんど喜びというものは無くなってしまうだろう。」
→「”自慢する”ということをしない」ということが「現在の事実に反する」わけですから、実際には「人は自慢することによって喜びを得る」というわけですね。
➡この箴言が、「虚栄」のテーマに分類されているのは自然と思います。いつものことながら、痛いところを突かれた感じがしますね。
3)原作とコピー作品 ~良いコピー作品とは~:
(133)Les seules bonnes copies sont celles qui nous font voir le ridicule des méchants originaux.
◎良いコピー作品というものがあるとすれば、それは、駄作に過ぎない原作の滑稽さを明らかにするコピー作品のことである。
(訳注)
copie:模倣、コピー作品、複製、模写、二番煎じ、パクリ
font voir < faire voir:見えるようにさせる(faireは使役動詞)。
voir:見える、分かる
ridicule :滑稽さ、物笑いの種
méchants originaux:「méchant」は通常「意地の悪い」「聞き分けの無い」という意味の形容詞ですが、古い文学的表現では、この例のように名詞の前に置かれて「価値の無い」「取るに足らない」という意味があります。originaux(原作)は、originalの複数形。journal(新聞、日記)の複数形がjournauxになるのと同じ変化ですね。
➡この箴言133は、どうして「虚栄」のテーマに分類されているのでしょうか。ちょっとわからないというのが正直なところです。でも、テーマ分類が正しいか否かは別として、「上手い!」と思える断想ですね。いったい、当時のどのような「駄作」を想定した箴言なのでしょう。想像をかき立てられます。
なお、スウェーデンのクリスチナ女は、この箴言については「分からない」という評価をしていたそうです。
いかがでしたでしょうか。本日もお読みいただき、ありがとうございました。