第80回 「テーマ別」ラ・ロシュフコー箴言集 ・「美徳」(4)
皆様こんにちは、今回も当ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
今回は、ラ・ロシュフコーの「テーマ別」箴言シリーズ 第77回の続きとして、「美徳」(vertue)をテーマとした箴言の続きをご紹介します。箴言番号は121、122、184、187です。今回も、簡潔なフランス語の文章を通じて「生きる知恵」を学ぶことができます。フランス語文左側の( )内の数字が箴言番号、◎が和訳です。それでは、お楽しみください。
<引用はじめ>
(121)On fait souvent du bien pour pouvoir impunément faire du mal.
◎我々はしばしば、罰せられずに悪事をおこなえるようにするために、善事をおこなう。
(訳注)
・impunément:罰せられずに、害を受けずに、支障なく。
➡これはちょっとどうかな?と思います。「善事は、悪事のためにある」という訳ですから。ここで言われている「善事」とは、つまり「偽善」ということだと思います。悪事が罰せられなかったら、世の中は大混乱です。
(122)Si nous résistons à nos passions, c’est plus par faiblesse que par notre force.
◎もし我々が情念に抵抗するとしたら、それは我々の強さによってではなく、むしろ弱さによってである。
(訳注)
・passion(s):情熱、情熱的な愛、(de~に対する)熱中、熱狂、情念、激情、(情念による)偏見、先入観、受難。
➡この文章には、ラ・ロシュフコーの箴言によく出てくる「条件法」(=現在の事実に反する仮定)が使われていません。よってこの文章は、彼自身も明確に「事実認定」してはおらず、「~なのかもしれない」という推測が入っているものと思われます。
つまり、もし、本当に我々が「王」のように「強い」のなら、情念・情熱の赴くままに行動するだろう。でも、実際には我々は「弱い」から、情念に抵抗できないのではないだろうか?という疑問を提示しているのだと思います。どのような場面を想定していたのでしょう。
(184)Nous avouons nos défauts pour réparer par notre sincérité le tort qu’ils nous font dans l’esprit des autres.
◎我々が自らの欠点を認めるのは、その欠点が他人の精神に与える悪い印象を、誠実に償うためである。
(訳注)
・avouons<avouer:認める、白状する、(目的語なしに)自白する、(qn pour~文学的表現で)人を~として認知する。
・défaut(s):欠点、欠陥、きず、欠乏、不足
・réparer :修理する、修繕する、(健康・体力を)回復する、償う、賠償する、埋め合わせる。
・sincérité:誠実さ、真摯さ、率直さ、真正さ、公正さ。par notre sincérité「我々の誠実さによって」の部分を、「誠実に」と訳しています。
・tort:間違い、損害。le tort qu’ils nous font dans l’esprit des autre:「ils(=défauts)が我々に対して他人の精神の中に及ぼす(font<faire)間違い」→「我々の欠点が他人に与える悪い印象」と訳しました。
・ils: défautsを指す。
➡この箴言は、「欠点を誠実に改める」という点ではもっともだと思います。一方で、「他人に悪い印象を与えないようにするために、欠点を改める」という意味であれば、先ほどの箴言(121)と同様に、ちょっと斜に構えた感じもします。
前後の文脈が無いので確定的なことは言えませんが、「欠点を誠実に改める」ということ自体は良いことですから、素直に理解することとしたいです。
(187)Le nom de la vertu sert à l’intérêt aussi utilement que les vices.
◎美徳という称号は、悪徳という称号と同様に、利益に寄与する。
(訳注)
・nom:名称、称号、名目、名声、名誉
・sert<servir:à~するのに役に立つ
・intérêt :興味、関心、面白さ、重要性、利益、得、利害、私利私欲、利息、利子
・utilement :有益に、有効に
・vices:悪徳、悪習、欠陥、不備
➡intérêtにはnotre(我々の)という形容詞が付いていませんが、ここでは敢えて「言わずもがな」で省略されているように思われます。この推測が正しければ、もっと直接的に、「我々の私利私欲に寄与する」と訳して良いかもしれません。
<引用おわり>
いかがでしたでしょうか。
「偉人」というだけで、ついつい、その偉人の発言の全てを「有難い」「偉大な」言葉と受け止めがちですね。でも、今回の箴言(121)のように、ちょっと過激で注意が必要なものもあることが分かります。
宮廷生活を送る中で、あるいは戦場等で生死を掛けた駆け引きをする中で、「生活実感として」生み出された箴言である点は、「生きる知恵の一つ」として尊重したいと思います。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。