第9回 LA ROCHEFOUCAULD “Maximes”

第9回 LA ROCHEFOUCAULD “Maximes”

皆様こんにちは、ぱすてーるです。

本日は、フランスのモラリスト文学における最高傑作とも称される、ラ・ロシュフコーの『箴言集』から、5つの箴言を紹介したいと思います。前回までのブログでは、青年期の「そこはかとない」悲哀や悔恨、感傷を歌った詩の紹介が中心でした(ボードレール『敵』、ヴェルレーヌ『秋の歌』ランボーの『一番高い塔の歌』など)。

今回は、少し趣向を変えて、「雄々しい」「凛」とした名言を紹介します。押しも押されぬ名門貴族、ラ・ロシュフコー公爵 (フランソワ6世François VI, duc de La Rochefoucauld, 1613年9月15日 – 1680年3月17日)の箴言集は、数行の短い文章の中に、はっとさせられるような警句が盛り沢山です。国家の指導的地位にある人物による省察、という点では、古代ローマのマルクス・アウレリウスの『自省録』に近いイメージがあると思います。

多くの戦争に参加し、リシュリューと対立して謹慎処分を受けたり、フロンドの乱でマザランと対立するなど、実際の政治闘争の場で味わった苦難が『箴言集』に反映されているそうです。宗教的には、パスカルと同様にジャンセニスムの立場に近かったとのことです。学生時代から「ラ・ロシュフコーといえばこれ」として暗記している箴言(番号26)からご紹介します。フランス語原文の次に私なりの和訳(必要に応じて注も)を付します。なお、原文冒頭に付した括弧内の数字は、箴言集における各箴言の通し番号です。

<引用はじめ>

(26) Le soleil ni la mort ne se peuvent regarder注1 fixement.

     太陽も死も、じっと見据えることができない。

(注1)助動詞pouvoir(英can)の前に再帰代名詞seが来ており、現代とは若干語順が異なる。現代であれば、Le soleil ni la mort ne peuvent se regarder fixementの語順となる。(英:Neither the sun nor the death can not be seen fixedly)なお、peuventはpouvoirの直説法現在の三人称複数形。Le soleil(太陽)とLa mort(死)の二つの名詞が、自らを目的語としてse(それら自身)となっている(=再帰代名詞)

(42)Nous n’avons pas assez de force pour suivre toute notre raison.

    我々は、理性に完全に従うほど十分に強い力を持ち合わせていない。

(147)Peu de gens sont assez sages pour préférer注2 le blâme qui leur est utile à la louange qui les trahit.

自分に向けられた賛辞が実態を伴わない場合であっても、賛辞よりも自分の役に立つ叱責の方を好むほど優れた英知を持つ人というのは稀である。

(注2)préférer A à B:AよりBを好む。英語のprefer A to Bと同じ。ここではA(=blâme叱責)をB(=louange賛辞)よりも好む人は稀、という意味。

(322)Il n’y a que注3 ceux qui sont méprisables qui craignent d’être méprisés注4,注5.

    軽蔑されることを恐れる人々というのは、軽蔑すべき人々だけである。

(注3)ne~queは限定表現。ラ・ロシュフコーらしい格調高い表現ですが、日常会話等で使うようなJe n’ai plus que dix euro dans ma poche (僕のポケットにはもう10ユーロしかない)というような表現とはちょっと異なり、難しい感じがします。(注4)craignent d’ < craindre de~を恐れる (注5)être méprisés < mépriser「軽蔑する」の受動態。méprisésの最後のsは、ceux(軽蔑すべき人々=三人称複数)を受けているため。

(456)On est quelquefois un sot avec de l’esprit, mais on ne l’est注6 jamais avec du jugement.

才覚ある人であっても、間抜けであることは時々あります。そうであっても、判断力を持っている人が、間抜けであることは決してありません。

(注6)l’estのlは、本文5番目の単語sot(間抜けな、馬鹿な)を指す中生代名詞のle。leのeとestのeが母音どうしぶつかるため、leのeが省略され「‘」となっている(=エリズィオン)。

<引用おわり>

いかがでしたでしょうか。ラ・ロシュフコーは名門貴族であり、日々の生活に困ることは無かったからこそ得られた『箴言』であるとも言えると思います。そうではありますが、300年以上の時を隔てた今日においても、傾聴に値する警句だと思います。一文一文が短いため、気軽に読める利点があります。その意味では、詩よりもアクセスのハードルが低いとも言えるかもしれませんね。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

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