第7回 フランス語上達法 ~ ヴェルレーヌの名詩を楽しみながら~

 皆様こんにちは、ぱすてーるです。本日も当ブログへお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 今回は、ボードレールと並び「象徴派」詩人として有名な、ヴェルレーヌの名詩を原文で紹介します。

1)ヴェルレーヌとは?:

 前回のブログでは、詩歌の世界における「巨人」ボードレールの、やや重い作品を紹介させていただきました。今回ご紹介するのは、それよりも軽妙な、人によっては「なよなよしている」と思われるであろう作品です。昔は、私もそう思うことがありました。

 でも、「フランス名詩100選」(le cherche midi éditeur 1989)で紹介されている58名の詩人のうち、一人で7つもの作品が含まれる詩人は、4人しかいません。ユーゴー(Victor HUGO)、ボードレール(Charles BAUDELAIRE)、ランボー(Arthur RIMBAUD)、そして今回ご紹介するヴェルレーヌ(Paul VERLAINE)です。

 ヴェルレーヌは、それだけフランス人に愛され認められた詩人です。深みがあるのは勿論ですが、同時に感じるのは「可愛いらしい」詩が盛り沢山であることです。これは、同じ象徴派のボードレールやランボーに比べると際立っていると思います。別の機会に触れさせていただきますが、ヴェルレーヌの詩は、ボードレールと同様、ドビュッシーやフォーレの美しい歌曲にも利用されています。

 今回ご紹介する詩は、日本では上田敏の名訳で有名な「秋の歌」(CHANSON D’AUTONME)です。1867年に出版されたヴェルレーヌ初の詩集「サテュルニアン詩集」(POEMES SATURNIENS)の「哀しき風景」(PAYSAGES TRISTES)の中に含まれています。全部で7つの詩の5番目の詩です。上田敏の詩集「海潮音」の中では、「落葉」(らくよう)として紹介されています。

 なお、この詩は、第二次世界大戦時の連合軍によるフランス・ノルマンディー上陸作戦の際、フランスのレジスタンスへ伝達される指示の暗号として使用されていたそうです。愛らしい詩ではありますが、それだけ重みのある詩であることの例証と言えるでしょう。

 以下の引用では、フランス語原文の末尾に丸数字(①~⑫)を付し、これらを◎印で示した和訳の中にも反映させています。原文と和訳の対応や、主語と述語の対応を分かり易くしています。それでは、お楽しみください。

2)引用はじめ:

CHANSON D’AUTOMNE
Les sanglots longs(①) (A)

Des violons(②) (A)

De l’automne(③) (B)

Blessent(④) mon cœur (C)

◎秋の(③)ヴァイオリンの(②)すすり泣くような音(①)が、

D’une langueur (⑤)(C)

◎単調で沈鬱な気持ち(⑤)にさせ、私の心を傷つける(④)。     

Monotone.(B)

Tout suffocant(⑦) (D)

◎ 時を告げる鐘の音が鳴ると(⑥、quand=英when)、

Et blême(⑧), quand(D) 

◎ 私は息苦しくなり(⑦)、傷つく(⑧)。

Sonne l’heure,(⑥)(E)

Je me souviens (⑨=se souvenir de~を思い出す)(F)

◎そして、過去の日々を思い出し(⑨)、

Des jours anciens(F)  

Et je pleure(泣く)(E);

◎涙するのである。

Et je m’en vais(⑩)(G)

◎そして私は歩み続けるのだ(⑩)、

Au vent mauvais(⑪)(G)

◎性悪な風に向かって(⑪)。   

Qui m’emporte(⑫~)(H)

◎私をあちら、こちらに、落ち葉の様に 

Deçà, delà, (I)

◎持て遊ぶ(⑫)性悪な風に向かって。

Pareil à la (I)

Feuille morte. (H)

(訳注)
 詩においては、各行の末尾で韻を踏む(=押韻。他の詩行の末尾と音をそろえること)ために、通常の文章の語順とは異なる配置となることがあります。少し慣れてくると主語と述語の対応を読み取れる様になります。上記の詩では、各詩行の押韻を分かり易くするため、各行末尾に(A)~(I)のアルファベットを付しています。この詩が、AABCCB DDEFFE GGHIIHという形で韻を踏んでいることが分かります。

<引用おわり>

3)まとめ:

 いかがでしたでしょうか。確かにちょっと、なよなよした感じがするかもしれません。

 でも、古くは日本の和歌、最近では現代詩や歌謡曲などにおいては、個人の感情を多少なりとも「なよなよした感じ」で表現することなど、良くあることだと思います。上記のヴェルレーヌの詩とは真逆の「雄々しい」詩というのもある訳ですが、そこは詩人それぞれの個性と理解してあげたいと思います。

 本日もお読みいただき、ありがとうございました。

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