本日は、ラ・ロシュフコーの「テーマ別」箴言をお届けします。今回のテーマは「知恵」(sagesse)です。
Jean-Marie André氏(第51回ブログご参照)による分類では、全部で9個の箴言が選択されていますが、今回はそのうち3つ(箴言番号19、20、22)を紹介します。まず最初に、同氏による解説文です。
La sagesse : c’est une grande folie que de vouloir être sage tout seul
◎知恵:たった一人で賢くあろうと望むことは、途方もない気違い沙汰である。
(訳注)
・folie:狂気、錯乱、狂気の沙汰、愚かな言動、莫大な出費、高じた情熱
・sage:賢明な、思慮深い、おとなしい。賢人・哲人(箴言20のsageは名詞)
(箴言19) Nous avons tous assez de force pour supporter les maux d’autrui.
◎我々には、他者の不幸に耐えるだけの力が十分に備わっている。
(訳注)
・assez de ~(無冠詞名詞):十分の~、かなりの~
・supporter:支える、耐える、我慢する、大目に見る、容認する
・maux<mal:災い(→不幸)、害、傷み、不快、苦労、不都合、悪、悪事
・autrui:不定代名詞、他の人々
➡maux(malの複数形)の解釈次第で、意味がかなり変わってしまうと思います。正直私は最初、mauxを「悪事」と解釈していました。そうすると、この箴言19全体は、次の様にも解釈できます。「我々には、他者の悪事を大目に見るだけの力が十分に備わっている。」
最初私は、そう理解していました。そして、「なるほど名言だが、言うは易しであり、分かっちゃいるけどなかなか実践がむずかしいな」と感じておりました。そして更に、「ついつい、他人の悪事に対してかーっとなってしまうが、短気は損気、我慢が大切、ヴォルテールも”寛容”toléranceを説いているではないか、これこそ”知恵”と勝手に解釈していました。
一方、二宮フサ氏の翻訳では、mauxは「不幸」と解釈され、「我々には、他者の災いには耐えるだけの力が十分に備わっている」とされていました。なるほど!「我々は、他人の不幸には鈍感だが、自分の不幸には敏感で、耐えられない」というのも見事な考え方だと思います。
まあ、辞書的な意味の解釈に大きな誤りが無いのであれば、解釈に余地がありましても、生きる知恵として吸収すれば良いと思います!
(箴言20)La constance des sages n’est que l’art de renfermer leur agitation dans le cœur.
◎賢者の一貫性とは、精神の動揺を自らの胸の内に閉じ込めておく技術に過ぎない。
・constance:恒常性、不変、一定なこと、(文学的表現で)ゆるがぬこと、変わらぬこと、粘り強さ
・art:技術、要領、熟練
・renfermer:収納する、所蔵する、含む、(古い表現で)感情を押し込める
・agitation:激しい動き、(社会の)動揺、騒乱、(精神の)動揺、不安、興奮状態
➡こで言われているconstance(一貫性)は、sagesse(知恵)やtolérance(寛容)に置き換えられると思います。どうして「ne~que」という「~に過ぎない」(限定表現)にしているのかは正直分かりません。プラスの評価をしているのは間違いないのですが。。。ちょっと気取ったレトリックなのかもしれません。
(箴言22) La philosophie triomphe aisément des maux passés et à venir. Mais les maux présents triomphent d’elle.
◎哲学は、過去および未来の不幸に容易に打ち勝てる。しかしながら、現在の不幸は、哲学に打ち勝ってしまう。
(訳注)
・triompher de~:~に打ち勝つ
・ aisément :容易に、苦も無く、楽に
・ à venir:à~不定詞で「~すべき、~することになっている」→来るべき、未来の
・elle:philosophieを指す
➡この箴言22におきましても、箴言19と同様に、mauxを「悪事」と解釈するか、「不幸」と解釈するかによって、全体の意味が大きく変わってきます。
mauxを「悪事」と解釈した場合、哲学によって、過去と未来の悪事に打ち勝ち、「現在」を正しく生きることができる。しかしながら、その哲学をもってしても、「現在」進行中の悪を思いとどまらせることはできない、というやや苦しい解釈になってしまいます。「悪事」に未来もへったくれも無いですね。
一方、mauxを「不幸」と解釈した場合、「哲学は過去の不幸と未来の不幸に容易に打ち勝つが、現在の不幸は哲学に打ち勝ってしまう」という意味になると思います。
ここでは、後者、つまりmauxを「不幸」と解釈する方が、すっきりすると思います。「大きな不幸に見舞われている」最中には、「哲学」どころではないですから。。。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。